第61回 死者達の300年余の目ざめ

2005年に入って、にわかにコツ通りにある葵のご紋の豊國山回向院が、あわただしくなりました。寺の北側角にあった小塚原交番が立ち退いたことて寺側の「墓地の全面改葬」と「回向院会館」の建設の動きが始まりました。 寺には多くの文化財がある為、荒川ふる里文化館の専門員の墓石調査が2005年6月から始まりました。

私と妻も加わり、暑い日に蚊にさされながら、午前9時から午後3時まで何日も調査を行いました。 思ったことですが、どんなにりっぱな墓石を建立しても後を供養する人が絶えてしまえば、ただの石です。 現在、自分の死後の事を深く考えている皆さんはどのように思われますか?回向院の檀家は現在800余あるとのことですが、無縁の墓が増えた事も今回の事業に深く関係があるのです。調査をして見ますと昭和16年~18年代に建立して無縁になってしまっている墓が多いのは、戦争が原因ではないでしょうか。

昭和20年の敗戦後は1~6歳位で亡くなっている子供の記載が多く、食糧と医療不足が原因と思われます。

2006年7月の完成後は、史跡エリアは北側に整備され、中央に永代供養塔が設置されます。参道は、車イスでも墓参りができる新設会館は、葬儀や法事など40名が利用できる式場と休憩室、控え室、高齢者や車イスが利用できるエレベーターが備えられ2階は、江戸時代の行路病死者や刑死者、安政の大獄桜田門外の変の水戸浪士や橋本左内・吉田松陰・相馬大作・鼠小僧・高橋お伝・杉田玄白の「解体新書」等の史跡資料の展示室を設置し、拝観料は無料で公開する予定だそうです。

過去の歴史を調べて先人達が現在の我々に何を伝えようとしたか、その時点に思いを馳せ、それを感じ取れる事のできる、すばらしい安寧の地になることと思います。

すまいるたうん4号

2006年7月13日掲載