第125回  生きる力のもと

先週、千住宿の街歩きをご希望のお客様と千住5丁目から南千住の延命寺まで三時間半ガイドをしてきました。荒川区観光振興課と足立区観光交流課と共同事業として、街の経済の活性化を観光事業で盛り上げていきたいとの考えから「千住散策マップ」が作られ、配布されました。その結果かどうか分かりませんが、ガイドの申込みが多くなりました。どんどん人の流れが多くなり街に賑わいを呼び込みたいと思っています。

さて、今回は北千住駅西口のマルイ前の広場に集合し、1時に出発しました。「荒川放水路が見たい」との要望で魚籃観音で有名なカラタチ寺「長円寺」へ向かい、四丁目の氷川神社に寄り、寺子屋教育で名声を博した群雀堂の碑を見て、正木家が名主の高梨家のもとで四代「百二十年」にわたって千住の子ども達の教育に携わってきたという珍しい話を致しました。群雀堂がやめてからその後を継いだのが田辺家です。

この田辺家の寺小屋が南千住にもでき、田辺学校として開校しておりました。

明治政府は明治5年(1872)に学区制を発布し官公立学校を誕生させますが、まだまだ私塾のほうが盛んでした。明治19年(1886)に「小学令」が施行されて尋常科四ヵ年までが義務教育と定められて町の寺小屋は姿を消してしまいました。その後、明治40年(1907)の新小学校令が発布され、義務教育が六ヵ年生までになり、その上に高等科が三年付け加えられ、昭和22年(1947)の新六三制が発布されるまで続きました。

江戸商人の間で教育が盛んであったのは読んで書いて計算しないと商売ができないためで、皆が熱心に勉強に励んだのです。商家では、特に娘の教育に力を注ぎました。それは娘に見合う優秀な婿養子を迎えて商売の安定した継続を願ったからです。倅に継がせると、飲む打つ買うで三代で身上をつぶすと言われていたからです。

実際に大製紙会社の三代目が会社をつぶすような大事件を起こし、新聞のニュースになったばかりですね。

江戸時代の教育といえば、最初に行われることは「読むこと」声を出して読む、次は「書くこと」書かれた文字を何回もまねして書く、この国語力が一番大切であると考えられていて、このことを実践してみせたのが私立校で全国で一番東京大学の合格者を出している灘高校の国語の橋本武先生です。

「国語がなぜ重要で大切であるかと言うと、人間がよりよく生活していく為には観察力・推理力・判断力などのいろいろな力が必要になります。この力を付け範囲を広げて行くことが生きていくための力になるのです」と先生は言われています。

ヒマがあればテレビばかり見ているのではなく本を読んだり、手紙や日記を書いたりしてみましょう。人間の巾が広がって行くと私は思っています。読み書きは生きて行く力を自分に付けてくれます。

また、街歩きも楽しいですよ。外に出て、いつもと違った道を歩くと新しい発見があり感動が得られます。家に閉じこもらず外に出ましょう。元気になりますよ。

すまいるたうん第205号平成24年2月13日