第126回 子供とマンガ本とテレビ漫画

昨今、マンガ本やテレビ漫画を見すぎて本を読まないで困るとの意見が多いと、読んでも良いとの意見が紙上を賑わしています。

敗戦前(1940)の南千住地域には貸本屋がたくさんあって安い料金で本が読めたし配達もしてくれました。長屋内では内職でおかみさんが駄菓子屋をやりながら貸本やもんじゃ屋もやっていました。貸本屋やもんじゃ屋には子供達のたまり場となり、大人達も来て子供と一緒になって楽しんでいました。

現代は全ての部分が専門店となり駄菓子屋はコンビニにもんじゃ屋はお好み焼き屋に、貸本屋はビデオ店や書店にと分業し、高級化して大人の楽しみの場となり子供の世界から離れてしまいました。

しかし、マンガの世界だけは日本の文化として世界規模で広がりを見せています。

江戸の昔から武士や商売人は識字(しきじ)文字の読み書きができました。

しかし、貧しい農民や下層階級の人々は、文字の読み書きが出来ない人が多かにった為、絵文字(簡略した絵を言葉の代わりに使った )や判し物(ナゾ解きのような絵)を使った時代もあったのです。

18世紀に入って来ると江戸では大人のマンガ「黄表紙」と言われた本が大量に読まれるようになってきました。粗悪な再生紙で10頁位の本でほとんど平仮名で読み易くなっていました。内容は、大人向けの洒落た文章であったマンガが大半で、文字は少なく大勢の人々に愛読されました。山東京伝(1816)など有名で黄表紙の作者は武士が多かったです。19世紀に入ると長編絵本となりました。

過去の歴史を見れば時と共に変化し、子供や大人に受け入れられ物事の考え方の基盤になっているのだと思います。しかし、自分で努力して難しい文章や文字を読み書く訓練は必要であり、努力すべきです。基礎的な文字が読み書けないと困ることがあります。

南千住の回向院(1667)には、江戸から明治へと国が大きく変わろうとしていた時に起きた安政の大獄(1858)で斬首の刑に処せられた吉田松陰先生や橋本左内先生の石碑があります。両先生とも「子供の時から将来どう生きて行くのかの志(こころざし)を持たなければ」と申されています。

自分の生きていく目標を早くから持ってその方向に日々努力していけばどのように変わって行こうが、りっぱに生きていけるはずです。私の育って来た時代のように何とかなるさとのん気に遊んでいて努力しない時とは違っています。早くから目標を立てその目標に向かって努力すべきだと思います。

マンガ本も大いに読み文字ばかりの本も大いに読む、どれを読んでも楽しいではありませんか?

楽しく読めば全て自分に身についてきます。本を沢山読んで楽しみましょう。

すまいるたうん第208号平成24年3月13日