第28回 コツ通りの歳末
昔は12月10日頃のコツ通り商店街の店前には、松飾りが立ち並び、風が吹くとガサガサと青竹の葉が音を立て、行き交う人々の心に「年の瀬がやって来たなあ」と思わせたものです。12月10日が松飾りに、13日が大掃除と続き、その後20日から餅つきが待っていました。コツ通りには北から兎月堂・明治屋・伊勢屋と三店の和菓子屋があり、それぞれ忙しく仕事に追われていましたが、現在は三軒とも廃業してしまいました。時代の流れ(生活様式の変化)とはいえ淋しいものです。
戦前は自分の家で餅をつくのは経済と時間とに余裕のある家庭で、忙しい家では餅菓子屋(和菓子屋のこと)で少量ずつ買うか「賃餅」か「しきずり餅」に頼んだものです。「賃餅」とは和菓子屋さんに餅を頼んで購入することで裕福の家は早めに注文を出しておき、職人の家などは昔は賃金が晦日(みそか)払いだったので金を貰ってから買いに歩いたので大晦日も除夜の鐘がなるまでお店は営業していたものです。金持ちの家では一夜飾り(いちやかざり)は貧乏くさくてヤダということで、早めの25日あたりまでに鏡餅飾りなどは済ませるところが多かったです。「しきずり餅」とは餅をつく人手の無い家では町内の頭(かしら=「とび職の親方」)に餅つきを頼み、頭のほうは若衆(わかいしゅう)のこずかい銭稼ぎにひき受けて餅をついて歩いたのです。道具一式を大八車(ダイハチグルマ)に乗せてひきずり歩いていたからその言葉が出たのでしょうか。今はお米屋さんで「賃餅」の注文を受けて期日までに配達しています。
一年中スーパー等でも切り餅が買えるので季節感がなくなり、また物のありがたみも薄れて来ているようです。以前は火鉢(ヒバチ)に餅網をのせて切り餅の「プー」とふくらんで来るさまが家庭の暖か味を作り出していたような気がします。ちなみに関東では四角い切り餅・関西は丸餅・名古屋あたりは角も丸もあるようです。仕事に追われ、アッと言う間の一年でした。また新しい年も元気でやって生きたいと思います。みなさまも良いお年を迎えて下さい。
まいたうん47号02年12月