第11回 常磐線の土手つち

昨夜(6月9日)から翌朝にかけて常磐線のコツ通りにかかるグリーン鉄橋は移動して無くなりました。昔なら大勢の人が何日もかけて少しづつ動かして作業したのでしょうが、さすがに機械力のすごさを見せつけられました。それだけ人々の仕事場が無くなり、失業者が増えることになる機械化は考えさせられますね。

さて、常磐線の土手つちは、どこから持って来たのかと云いますと、三ノ輪の畳屋の故鶴見小太郎さんのお話では、今の大関横町周辺の大名屋敷から土を運んだそうです。ちなみに大名屋敷とは各大名が江戸に屋敷を持つことで、幕府から拝領した敷地に自前で家屋や庭園を作り自身の費用で賄いました。本邸を上屋敷、控えを中屋敷、下屋敷と言い、全てが自前のものは抱屋敷と言いました。すごいですね。。100年も前の土木技術はたいした道具も無い時代で、あれだけのものを作り上げたそうで、職人達の心意気が強く感じられます。

当時、大関屋敷・宗屋敷・石川屋敷・池田屋敷・加藤屋敷等があり、一万坪、八千坪、五千坪という広い敷地を有していましたので、そこから人海戦術でトロッコ(今の台車に箱が載っている)に泥を入れ、レールの上を人力で押して運搬したそうです。その後には、大きな池ができ、子供達が泳いだり魚釣りをしたりして遊んだそうです

当時、明治政府は多量のレンガを建造物に取り入れてその強化をはかりました。レンガに桜のマークが押してあるのは小菅の刑務所内でつくられたものだそうです。

現在でも問う氏のレンガ作りの跡を見ることができます。都立荒川工業高校のまわりをウォーキングして下さい。

まいたうん29号(2001年6月20日発行)