第8回 街路樹のはなし
3月入ったとこうのに度々雪が降り、春はまだかぁの感じですが確実に草木は新しい芽を出す準備をしているようです。
コツ通りも昭和29年(1954)頃から木を植えようと話が始り、JR南千住駅から土手沿いにと、コツ通りの東側西側と太陽信用金庫の前の通りに銀座の柳をまねて街路樹に直径3cm位の柳の若木を植えました。私の父が仕事を請け負ったので私も手伝い、シュロ縄でささえ木に柳を結ぶ仕事をしました。
昭和32年(1957)に完成し、春から夏には通る人の目を楽しませてくれました。昭和37年(1962)に第1回目のアーケードが完成するまでの5年間に、かなり大きな木になり、街路樹の良さを発揮してくれました。そんぽ延長が現在の太陽柳通りという名称で柳の木と共にコツ通りから国道4号線までの間に残っています。ありがたいことです。
今、コツ通り商店街も現在の第2階目(昭和45年(1970))製作のアーケードに関して、撤去か新設か大きく揺れ動いています。
コツ通りは江戸時代の五街道で日光道中(日光街道)と呼ばれ、立派な国道でしたが、昭和27年(1952)の新道路法によってコツ通りは国道から都道路法によってコツ通りは国道から都道補助104号線へと変わってしまい、今では新国道の4号線が日光街道(日光道中)と呼ばれるようになってしまい残念です。
昔、大勢の人々が日本橋を起点として行き交ったろうと思いをはせています。
尚、先月のこの記事に対して汐入の「旭たま子」様より暖かいお手紙を頂き感謝致しております。文中「文化フライ」は、やはり、提灯屋の石井さんが言われた通り中身は「レバー」であり1個五銭でしたと教えて頂きました。
本当にありがとうございました。
まいたうん26号(2001年3月20日発行)