第89回 文化の日「明治節」
11月2日から荒川区の区長選と区議会議員補欠選挙が始まり、3日の夜に選挙演説会が南千住第二中学校で開かれました。その席上で西川区長から11月12日(水)午後4時30分に南千住に天皇陛下が来るとの話がありました。
「つくばからエクスプレスで南千住駅へ下りて汐入を通り、高速道路を利用して帰られ、スペイン国王も御同行とのことで両国旗を振って歓迎して下さい」と。なぜ南千住が使われたのかと申しますと一番安全な地域であるためです。
戦後20年代、常陸宮が回向院とその隣りにあったケンシポマード会社の事務所と工場「現五丁目防災広場」を見学にいらして以来です。今、制定されている文化の日は、戦前は明治節と云われ、明治天皇誕生日でした。昭和2年(1927)に制定され、昭和23年に廃止されました。明治天皇は南千住に二度来られています。一度目は千住3丁目「中田屋」、明治9年(1876)6月2日にに宿泊され東北巡行へ、二回目は明治14年7月30日に宿泊され北海道巡行へ。
当時旧千住宿は北組(今の千住一丁目から五丁目)中組(掃部宿から橋戸)南組(小塚原町・中村町)と呼ばれていました。それが、現在では北組地域が北千住と呼ばれ、南組地域が南千住と云われていますが、北千住の名称はJR北千住の駅名だけで住居地番は、全て千住になっております。
徳川幕府が制定した江戸四宿は「千住宿」日光街道奥州街道「品川宿」東海道「板橋宿」・中山道「内藤新宿」甲州街道で、140年後の現在歩いてみると、その変わりようは驚くばかりです。安全で住み良い町にしていかねばと思っております。思うだけでは、だめですから一歩一歩少しずつでも進んでいきましょう。 仙成こと杉山六郎
2008年11月13日 すまいるたうん88号