第82回 風流お花見船で隅田川くだり
荒川区観光ボランティアガイドとしてご一緒させていただき、乗船50名余のお客様と荒川遊園船着き場より出発しました。荒川遊園は大正11年(1922)に王子電気軌道㈱により開園しました。明治20年(1887)頃にはレンガ工場が軒を並べ生産していました。すぐ緑色の小台橋(昭和8年(1933)架設)、並んで銀色の舎人線鉄橋(平成19年(2007)架設)、船からすぐ左手に足立小台駅を見ながら下流の黄緑色の尾久橋(昭和43年(1968)架設)の真下を通り抜けるとすぐ都立尾久の原公園(旧旭電化(大正六年(1917)設立))、右側の荒川区側には満開の桜の木が何本も見られましたが、足立区側には1本もありませんでした。ブルーの色の尾竹橋(昭和9年(1934)架設)、この辺は荒木田の原と呼ばれ江戸時代にはスミレやレンゲの咲き乱れ、市民の遊楽の地であり壁土や焼物の土として有名な荒木田の土の産地でした。橋をくぐるとすぐ右手には区立第五中学校、左手には千住桜木町のおばけエントツ(エントツが4本立っていて見る場所により1本に見えたり2本に見えたりした為にその名がついた)のあった東電の火力発電所。 京成電鉄(大正11年(1922)開通)の鉄橋をくぐると千住水道橋(三河島汚水処理所からの工業用水の鉄橋)をくぐると左手足立区側には、「リガール」「ニッピ」の工場群が見える汚水処理場に並んで日本最初にダンボール「板紙」を作った所(現在はマンションアクロシティが建つ)の隣りに熊野神社・素盞雄神社千住大橋(413年前、幕府が隅田川に最初に架設)へと差しかかる鉄橋は昭和2年(1927)左手足立区側には、「リガール」「ニッピ」の工場群が見える汚水処理場に並んで日本最初にダンボール「板紙」を作った所(現在は高級マンションアクロシティが建つ)の隣りに熊野神社・素盞雄神社と続き千住大橋(413年前、幕府が隅田川に最初に架設)へと差しかかる鉄橋は昭和2年(1927)上り鉄橋は昭和48年(1973)架設、下を通るとすぐ左側に足立市場(魚専門)舎人市場(青果専門)が見えます。JR常磐線・東京メトロ・つくばエクスプレスの三線の鉄橋を右手に汐入新高層ビル群と桜並木が続く都立汐入公園のすばらしい眺めが見えてきました。
千住汐入大橋(平成18年架設)を抜けると左手に旧綾瀬川(荒川放水路に抜ける川)多間寺(隅田川七福神巡りのスタートの寺)・カネボウ発祥地・東京リハビリテーション病院と続き水神大橋(昭和60年架設)をくぐり桜の名所の隅田川神社(水神社)を左に旧汐入水門(瑞光橋)を右に見て東京ガスのガスタンク。その先に石浜神社(旧石浜城)・真先稲荷神社です。白髭橋をくぐると左手に白髭神社、先方のさくら橋の両岸はピンク色に染まる桜並木におおわれていました。飛鳥山の桜は二代将軍家光が植え、隅田川の桜は八代将軍吉宗が植えたと言われてます。
幕府が町民に物見遊山を奨励したのはなぜか。武士が8割町民2割で狭い土地に生活していたのでストレス発散には良かったのではないでしょうか。川から見た風景は江戸時代の「名所図絵」と比べるとコンクリートのスーパー堤防ばかりで面白くないですね。船中でコツ通りの料亭「新吉」の豪華弁当を食べてお大尽の気分に浸った一日でした。2008年4月13日 すまいるたうん67号