第77回 橋と平和
「南千住の歴史を語る会」をご存知ですか。毎年、真養寺で南千住の昔話をふるさと文化館の専門員の先生に講演していただいている会です。今年の題は「千住大橋」、文化館の副館長の野尻かおる先生が講演されました。
千住大橋は文禄三年(1594)生まれの413才です。昭和二年に鉄橋化されて80周年になり、来年2月9日~3月23日まで企画展が開催されますので、ぜひ見に来てください。昔の千住大橋はもっと上流にあったこと・架け替え工事が8回もあったこと・洪水で度々流されてしまったこと・橋の上で南と北で綱曳きが行われたこと・松尾芭蕉さんや15代将軍徳川慶喜さんが旅立って行ったこと等興味ある資料が多く展示されます。
皆さんは、川に橋が架けられるという行為はどのように考えられますか?講演では語られてませんが、私は境界の垣根が取り払われて交流が始まることだと思います。国が平和でないと橋は架けられないのです。徳川家康が千住大橋やその他の橋を架けたのは国(社会)が平和になった為だと思います。家康は特に仙台の伊達藩を大変恐れていましたが、その恐れが無くなったので橋を架けたのでしょう。ちなみに伊達政宗の調達した槇が使用されたと云われている橋杭は、調査によると実際はヒノキ・マキ・クスノキ等様々です。
鉄橋になる時に撤去された橋杭で、色々な彫刻品が作られ、第二次世界大戦でも焼けずに、北千住の旧家に多く保存されています。
国と国、地域と地域が平和でなければ、絶対に橋は架けられません。戦争「あらそい」が起きれば、すぐ境界の橋を爆破し、人や物の往来が出来なくするのが常套手段です。まず、橋があることは社会が平和であることなのを忘れずに。戦争の悲惨さ・悲しみ・むごたらしさ・苦しみを体験した人達が少なくなり、戦争を面白いもの、人を殺すことを楽しいものと思っている人が増えているのではないでしょうか。空襲の灼熱の中叫び声をあげながら死んでいった人達・マネキン人形のように全身黒コゲになった人達・防空壕で蒸し焼きになった人達・・私は一命を取り留めましたが、あのようなことは二度と起こしてはいけません。一部の指導者の考え方で何百万人の人々が死に追いやられてしまうのです。平和とは、戦争とは真剣に考えて下さい。敗戦記念日も広島・長崎原爆記念日も皆忘れ去っています。今こそ若い人達に考えていただきたい。平和が一番です。どんなことも話し合いで解決をして下さい。友人や家族と戦争についてたまには話し合って下さい。老人の心配ごとです。
2007年11月13日
すまいるたうん52号