第75回 111年の時を経て
8月29日(水)9時半より行われた南千住西口駅前ビルの起工式には地権者・行政・建設・不動産及び近隣の方々が集まり、素盞雄神社能円坊宮司による御祓いが盛大に挙行されました。
振り返ってみますと、今から111年前、明治29年12月に小塚原とか浅茅が原とか呼ばれ、また人間の身丈程の葦が繁り小塚原繩手と呼ばれて浅草まで一直線に細い道が通っていたこの原野に上野ー土浦間の鉄道が引かれ、町としての発展をみました。時代の流れと共に浮き沈みはありましたが、今日に至っています。駅が出来た当初はまだ「おし置き場・サラシ首の見せしめ場・人間牛馬等の死体捨場・火葬場」江戸時代の暗いイメージがあり、人通りもなく夜は寂しい場所だったので町では常夜燈を立てて駅の周りを明るくしていたと記録されています。私の子供の頃は、線路の東側は引込み線と原っぱと用品倉庫群でした。日が暮れると裸電球の外路燈がポツンポツンと立っていて暗くて怖い道でした。汐入に行くには駅前ガードをくぐり、線路沿いに北上し隅田川にぶつかると右へ曲がり、ドックの上の汐路橋を渡って汐入に入って行きました。現在は、引き込み線を残して全て超近代都市になりました。集合商業施設「ララテラス」「ウェルネス」が3年前に出来てからは西側の人々が連日線路を越えて東側へ行ってしまいコツ通りの商店街は元気がなくなって来ました。
西口ビルの完成により町が大きく変わってくれると期待し、人の流れが代わり商業形態も変化してくると考えています。地元の発展は間違いないと思い、それに従って我々小売商も変わっていかなければいけません。一歩一歩、皆で力を合わせ、先に行く努力をします。愛着の持てる地域にして自分の住んでいる土地を愛している人を増やして行きたいですね。そうすれば人々も集まり、商業も発展し地域の資産価値も高まること間違いなしです。
我々住民の一人一人が自分の町に愛着を持って良い町作りをしていきましょう。いや、そうして行かなければならないのです。がんばるぞ。
仙成こと杉山六郎
※4月に杉山さんは、3代目コツ通り商店街振興組合理事長に就任致しました。 2007年9月13日 すまいるたうん46号