第74回「平和ボケ」と「ぜいたくボケ」
八月四日30余名が三ノ輪駅に集合して上野戦争で彰義隊が官軍「政府軍」に破れ、上野の山から南千住へ敗走して大橋を渡り、千住北へ逃げた経路をたどり戦争の悲惨なことなど話合いました。江戸幕府の支配から明治政府へと移り変わる慶応四年(1868年)の前後は徳川幕府250年の平和な時代を打ち破る戦いが各地で起きました。天狗党の乱(元治一年1864年)・「水戸」と第一次長州征伐(慶応一年1865年)・第二次長州征伐(慶応四年1868年)・鳥羽伏見の戦いが明治元年1月3日に始まりました。以後、戊辰の役「戊辰戦争」と言う仙台米沢藩の奥州列藩同盟と会津長岡藩の奥州越列藩同盟との戦いは9月に会津の落城降伏で終わりを告げました。 旧幕府海軍を中心とする一部が船で函館へ移行し五稜郭で榎本武揚、土方歳三などで官軍と戦いましたが、明治2年(1869)5月18日降伏。佐賀の乱「佐賀」(明治7年)・神風連の乱「熊本」・秋月の乱「福岡」・荻の乱「山口」・西南戦争「鹿児島」(明治10年)と国内の戦争が続きました。
その後は、国外の戦争となり日清戦争(明治27~28年1894~1895)・日露戦争(明治37年1904)・第一次世界大戦(大正3年1914)・第二次世界大戦(昭和16年1941~昭和20年1945)の敗戦で終わりました。
だらだらと書きましたが、明治維新前後の日本人同士の殺し合う戦いから外国人と殺し合う戦いへと変わって行った事が判っていただけましたでしょうか。なぜ、そのような戦いが起こったのか背景を考えていただきたいのです。ラジオ局が繁華街で人々に「今日8月6日はどのような日か思い当たることは?」と聞きましたが、「原爆が広島に投下された日」との答えはゼロに近いものでした。8月9日は「長崎に原爆が投下された日」8月15日は「敗戦の日」、東京は暑い日でした。
敗戦後62年、戦争のない平和な時が過ぎました。皆さんに歴史を学習して
過去を勉強し、戦争という人と人が殺し合う悲しい出来事の原因を考えていただき国の行く末を見極めていただきたいですね。今、住んでいる土地の歴史を学ぶことで自分の町を愛し、人々と共生して行くことができると思っています。
2007年8月13日
すまいるたうん43号