第72回 南千住糞尿取扱所

昭和18年(1943)から23年(1948)まで隅田川にかかるJR南千住東側のガード下「今のメトロ電車庫」の前にかけて糞尿の汚船への積み換えと家庭ごみの積み出し場所があり従事者の方々の大変なご苦労がありました。大正12年(1923)に三河島汚水処理場が竣工し衛生面の発展がやっと見られましたが、当地では昭和30年代に入り、少しずつ水洗化されるようになりました。南千住において上水道は大正12年頃から始まったようで、私の母が大地震の時に工事用の鉄管に足をとられて転んだと話していました。下水道は昭和6年(1931)に工事が始まっています。

 

今の快適なトイレしか経験のない人にはわからないと思いますが、かつては、各家庭の汲み取り口から便所ガメの糞尿を長柄で取り出して入れた肥桶を大八車に10~12コ位積んで取扱い所へ集めて、今のダルマ船より小型な伝馬船「平水船」とか「高瀨船」とも呼ばれた底が平らな船を3隻位つないでエンジンつきの引き船で曳航して行き各農村へ配り、一部は海洋投棄を行ってきました。平成9年より糞尿投棄が廃止になり平成11年には汚泥なども投棄が廃止になりました。平水船「葛西船」の実物大の模型はお花茶屋にある郷土と天文の博物館に詳しく展示されています。

 

さて、川岸に設置された水槽に各町内から集まって来た糞尿の入った桶を持ち上げて入れると樋を通って汚船に流れ込む仕掛けになっていました。このまわりには、いつもカモメが群がって糞尿から逃げ出す無数のウジ虫を食べに来ていました。各家庭の生ゴミも大八車の東京都のマークのついたカゴで運ばれて船積みされていました。現在、各家庭のゴミの多いこと「モッタイナイ」の当時の精神はどこへ行ってしまったのでしょうか?まだ食べられる物まで期日が来たからと捨ててしまい、まだ着られる衣類まで流行の名のもとに捨てています。こんな生活で良いのでしょうか?やがて戦時中の生活の苦しい時代が来るような感じがしてなりません。「モッタイナイ」の言葉をかみしめて下さい。       仙成こと杉山六郎

2007年6月13日            すまいるたうん37号