第68回 天王様の節分祭
毎月一回土曜日の午前10時~12時まで第三瑞光小学校で三年生から六年生までの男女35名位にビーチボールバレーを教えています。今月は三日が開催日でしたので終了後に節分の豆まきの話をしましたが、節分のことは良く知りませんでした。でも、天王様で豆まきが行われることは知っていて全員が参加すると張り切っていました。毎年参加していますが、今年は境内にあふれんばかりの人だかりでした。
私が中学生のころ、南千住三丁目の八百屋の息子さんで大関までのぼりつめた「三根山関」が豆まきに来た時のにぎわいの情景が思い出されて嬉しくなりました。子供も大人も「年男を含めて」350余名が3時から30分ごとに4回豆まきを行われ、菓子やオモチャ等がいり豆と一緒にまかれて、それはそれはワイワイガヤガヤと元気一杯にぎやかで楽しそうでした。
戦前の南千住では出入り口に邪気をはらう為「柊」「葉」にトゲがあって痛いの枝に焼いた鰯の頭を刺したものを飾り夜になるとその家の主人が升に煎った豆を入れ窓を開け「鬼は外、福は内」と声を掛けながら家中に撒いている様子が家々から聞こえて来たものです。その後は自分の年の数だけ豆を食べ、チョット晴の料理を食べ家族で遊んで一夜を過ごしました。一家団らんが出来る楽しい行事でしたが、今はどこの家もやってないようです。大昔は宮中のおおみそかの行事であったものが江戸時代に庶民の行事として一般に定着して来たと言われています。
昔は災害や疫病は悪魔とされてその「厄」「災」をもたらすのが「鬼」と考えられていました。鬼は全ての災の象徴とされ何かにつけていじめられているのです。豆は「魔」(マ)を滅(メ)する」とかまめになる「まじめに精進して」不幸をとり払うとのいいつたえがあります。
天王様の豆まきには鬼は登場しませんが、陰陽道の占いの世界では悪魔が出人するのは北東の方角といわれ、徳川家康は江戸城を築城するにあたり北東の方角の上野に寛永寺を厄除けの祈願のために建立したそうです。 2007年2月13日
すまいるたうん25号