夏から今月まで部落のガイド依頼が多くありました。皆さん、部落と言う言葉をご存知ですか。地方へ行くと少数の家々が集まって地縁団体を作った集落ですが、ここで言う部落とは、江戸時代に形成され身分的社会的に強い差別待遇を受けてきた人々の集団が住まわされていた地域を言います。 南千住周辺にはいくつかあり、それらの「地域を案内してください」との要望でガイドしました。研究されている方々の会と思われ、大変詳しく勉強されていて自分の学力のなさを恥ずかしく思いました。
江戸幕府は慶応4年(1868)8月まで9月からは明治政府へ行政が移って行きました。その後、明治4年(1871)8月に部落解放令( 賤称廃止令)が太政官布告として発布されました。そのため大量の失業者が江戸の町にあふれてしまいました。大企業であった武士社会が無くなり、勤めていた人々が職場をなくしましたし、部落解放令で部落に住んでいた人達も追い払われて行く先が無くなってしまったのです。現在の貧困労働者と同じで日雇い派遣労働者です。少しまえのニコヨンと言われたのと何ら変わりないのが現実社会です。
南千住周辺には
①浅草溜と言われた非人部落。明治になってからはバタヤ部落と呼ばれ住む所を転々と移動させられました。
②隅田川辺りの穢多(エタ)部落。明治になり、製革・製薬・製靴、ハキモノ製油肥料等更に多々に分かれて食肉業や飲食業、食品加工等と広がって行きました。
③人足部落です。行政が変わり、失業してしまった人達が集まり始めたのが隅田川貨物を中心とした大工業会社集団です。明治29年に完成した隅田川貨物は建設当初より大勢の労働者が必要でした。(現在のような機械力がなく全て人の力で作業を進めなけれならないから)その人達が住むための部落が出来上がってきました。
④外国から移住して来た人達のための部落。
このように南千住の周りは部落のことを勉強している方々には大切な地域なので調査研究に訪れていらっしゃるようです。
先日も、その先その先と次々と行く場所を指定されて休憩なしで4時間半の案内はさすがに疲れて足が痛くなり、二、三日回復しませんでした。が、皆さまの研究熱心さに押されて頑張ってしまいました。
南千住周辺地域は過去の歴史が多く存在している町です。一つ一つ学習して行くと興味尽きない問題があり、楽しい町です。皆さまも一つ目的を作って街歩きをされると楽しみが倍増されて街歩きが好きになり楽しくてしょうがなくなりますよ。
これからは寒くなりますので暖かい服装で荒川区内の図書館めぐりやバスや都電を利用して点から点の範囲を広げていくのも面白いと思います。室内と外との温度差が激しくなります。油断せず、お過ごしください。