第110回 無関心社会「無縁社会」

十月に入って私の周囲50m以内で3名(40歳代2名60歳代1名)の方が孤独死されているのが判った事件があり、色々と考えさせられました。国では、「孤独死」ではなく「孤立死」(誰にも見とられる事なく息を引き取りその後相当の期間放置されるような悲惨な死に方をいう)と定められています。敗戦後の生活様式の変化、特に近年、物が豊かになり個々の住宅が増え、昔のように一住宅に大家族が居住することがなくなり、老いも若き個々の家に住むようになり、家族観が大変化してしまいました。

国の20年度の生活の意識調査では、親に対してほぼ半分以上の58%が「時々会って会話する程度でよい」と答えております。

敗戦後、個人を大切にする教育がなされ、義務が伴う事をおろそかにして来たために自分を育ててくれた親に対する恩も忘れ「自分達が勝手に生みやがって」と言う言葉も出てきてます。悲しいことですが現実です。戦争前の南千住のように人が大勢いて長屋が沢山あって、中でも有名だったのが百軒長屋・軍艦長屋・トンネル長屋(南千住出身の有名な画家小松崎茂先生が南千住のトンネル長屋の風景画を書き残されています)その他には、坪庭長屋・棟割長屋等があり、借家に住んでいた人が多かったです。

江戸時代の町人の7割は借屋住いであったと言われ落語にも長屋を演題とした出し物が多くあります。とくに長屋の作りが粗末であり、隣人の生活音等筒抜けでした。だから隠し事ができないから返って親密で家庭的な付き合いがあり落語の熊さん八っあんのような話になるのです。料理を作れば「おすそわけ」といい、持っていって食べて貰ったり、独り者の世帯等では食事に誘ったりしてました。

今は隣人がどのような人が住んでいるのかも判りません。私もこの前10月1日の国勢調査(5年に一度)の担当として関わった時には苦労をしました。戦後教育の悪さだと思います。人のことには無関心で挨拶もせず、大人でも挨拶の出来ない人が多く見受けられます。親が家庭で教えなかったのだと思います。

人格形成の基本は家庭教育で社会教育とが肉付けをして行くのです。その親が家庭教育をしない、隣り近所の人々とさえ挨拶せず自分の家の前の掃除すら人まかせ、地域の行事には出てこないで批判ばかりする、自分が悪いのに人のせいにして文句をいうこういう社会ではよくならない。少しでも、お節介を焼きましょう。

私の子供の頃は町内にはお節介じじいやばばあがいっぱいいました。その時は「うるせえ」と思ったのですが、後になって一つ一つが役に立つ本当の言葉だと思うようになりました。隣り近所の付き合い方から人と人との付き合い方を子供のころから、色々な多くの人達と挨拶から始まって挨拶を中心として多くの人から声を掛けられ顔見知りになり、あの子はどこの子と覚えられると社会に対してしっかりするし、悪い事もしません。家庭の挨拶が基本です。日常親から挨拶して下さい。

仙成こと杉山六郎  すまいるたうん第160号

平成22年 11月13日