第46回 産業革命は南千住から

日本の産業革命は明治20年(1887)頃より始まったのではないかと思います。その勃興は南千住から始まったといっても過言ではありません。紡績・鉄道・石炭・紙・皮革、その中でも特に紡績は輸出が輸入を追い越していました。

しかし(43回でも書きましたが)それを支えた労働者は悲惨な実態でした。農山村から多数集められた労働者は、塵芥の中で長時間労働・劣悪な環境での居住生活を送りました。そのような形で巨額の利益をあげ、大企業となり20年近い歴史を持つカネボウ。

でも、現在は報道でご存知のありさまです。結局は経営者の能力不足・判断ミスでしょうか?

南千住のカネボウは製品が毛織物でしたが、滋賀県長浜氏の長浜工場は昭和5年(1930)に操業した絹布工場で東洋一を誇り、町名も『鐘紡町』と変更した程です。この名称も鐘ヶ淵紡績~鐘紡~カネボウと、南千住の鐘ヶ淵の地名からつけられた会社名です。南千住から滋賀県の鐘紡の町へ74年も使われていたとは驚きです。

さて、明治30年(1897)頃の紡績工場で働いていた女子従業員さん達に結核が相当広がり始め、急性伝染病から慢性伝染病へと移って行きました。幕末から明治中期頃まで流行したコレラも落ち着いて今度は新しい伝染病結核が、不治の病として恐れられ特効薬もないまま、大勢の人を死に追いやりました。

コツ通りにありました柴田病院(現在の城北信用金庫の場所)も結核病院として長く治療にたずさわっていました。私も3人の兄達を結核で亡くしております。

大企業は若き女工さん達を酷使して金儲けをして、このありさまです。生きる上でお金は重要ですが、社会全体がもう少し『本当の幸せ』を考えても良いのではないでしょうか。

人の真似をするのではなく、自分らしく、無理なく、ゆったりした生活を過ごしたいと望みます。

まいたうん65号(2004年6月20日発行)