先日ある会で30代男性に「私はこの年まで銭湯に行ったことがないのですが、銭湯の仕来りってあるのでしょうしょうか」と聞かれま
した。「コツ通りの一口話」(2003年3月号)に風呂屋のことを少し書きましたが「銭湯は大勢の人が利用する施設ですから、皆さんが
気持ちよく使用できるように気配りして譲り合うきれいに使うこと入浴の基本です。
昔は三助(銭湯で湯焚き場の仕事をしたり流し場に出て男女の客の体を洗ったりする男性の使用人)がパンパンと背中をたたく音が建物中
に響いて活気があり、水商売の女性が「ぬか袋」で背中を流してもらっていました。今は、その光景もなくなりました。番台(風呂屋の入口にあり料金を受けたり湯殿を見張ったりする高台で男湯も女湯も見渡せる場所)も無くなってホテルのフロントのようになり、銭湯は寂しい場所になりました。
まだ昭和40年辺りまでは「芋を洗う様」と言われて、カラン(お湯の出る蛇口)を確保するのが大変でした。体を洗わずに湯舟へ入ろうとしたり、流し場を走ったり、湯舟を水を出してぬるめたりしたものなら先輩達に怒られました。怒られながらルールを教えられました。
たいていの風呂屋の湯舟の後ろの壁は富士山の絵が描かれており、脱衣場では囲碁や将棋もできました。銭湯の建物の入口は、文化財としても価値のある安土桃山様式のりっぱな造りが多かったです。
2003年の前回の記事掲載から6年の月日の流れの中で南千住5丁目の大黒湯・高城湯が廃業し、銭湯は南千住地域で5軒となってしまいました。銭湯という公共の場が少なくなった為に先輩達から社会ルールを教えていただける機会が少なくなって来ています。公共交通機関を利用しないで個室である自動車での移動だと周りの人々に対して気を使うことがない。家庭では内鍵付きの個室があてがわれ、専用テレビ・携帯電話、個々の時間差での食事・・これでは社会の暮らし方は教えられることなく変な大人ばかりが増えて来てしまいます。
昔は、おじいちゃん・おばあちゃん・両親・兄弟姉妹・使用人(ちなみに私は7人兄弟の6番目)の中で喧嘩したり、笑ったり泣い
たりしながら生活し、生きていくルールを身につけていきました。今は一つの家で暮らすことがなくなり、上から下への教育が無くなっ
てしまい、皆で生きていく暮らし方が判らないので精神がおかしくなって来ているのではないでしょうか。
テレビやゲームで家の中に閉じこもらずに外に出て色々な人達と顔と顔を、目と目を合わせて会話を大切にして下さい。昔は長屋は
もちろん、一般的に二階建ての家でも二階を間貸しして、「金を取って部屋を貸す」トイレは共同でした。ですからお互いに気を使っ
てきれいに使用する習慣がありました。食事の付いている家もありましたが、物干し場でコンロで炊事をしていました。このような生
活をした後に自分の家なり、部屋を持った時の喜びは宝物です。今の恵まれた方達には味わうことのできない感情であると思います。
腹を空かせて食べる食事は本当においしいものです。生活を八分目を目安に生活すれば沢山楽しいことを学ぶことができると思います。
人の中に出てよく見ることが大切です。小さい時から人々の中に出して下さい。仙成こと杉山六郎