第130回 殺し合う戦争のない時代がいい

南千住に富士山が二つあるのをご存知ですか。

7月1日は富士山の山開きで全国の富士山が一斉に山開きをします。江戸「東京」には、たくさんの富士山がありました。南千住の二つの富士山の一つは、素盞雄神社(天王様)の境内にある小塚原の地名になっている瑞光石と一体となっている塚で浅間神社をお祀りしている富士山です。

日本国内の戦争が終り、やっと平和な時代が訪れた徳川時代(1603~1868)の265年間、人々の日々の生活が落ち着き安定してくると旅行が始まりました。

伊勢神宮へ行くお伊勢さん参りや熊野詣などで、その中の一つが富士山頂の浅間神社参りです。町の人々は講(神社仏閣を祀ったり参詣する同行者で組織する団体で、伊勢講、大師講など)を作り、六根清浄と唱えながら先達や講元を先頭に山頂を目指して登りました。講の方々は現地に行けない人達のために資金を募り、町内に富士山を作って信仰と娯楽の場を作り、生活を楽しみました。

富士山開きの前日の6月30日は「夏越の祓」といわれる大切な大祓いの神事が各神社で行われます。神社の神域に入る鳥居の所に「芽がや」を巻いてこの「茅の輪」を次の作法でくぐり抜けると災厄から免れると古くから行われている行事です。

天王さまにも「蘇民将来」の物語から起ったと風土記で言われている「蘇民将来」ののぼり旗がたくさん立っています。元来は小さな「茅の輪」を身につけておき災厄から身を守った風習です。これが、みんなで大きな「茅の輪」を作って特に夏の暑い時期に入る6月に大流行する厄病の厄払いのため輪をくぐる方法へと変って来ました。 茅の輪のくぐり方は一回目は左回り、二回目は右回り、三回目は左回りで一礼してくぐり抜けるやり方です。身を清め厄を落し、また毎日元気に生活していけるのです。

南千住のもう一つの富士山は、橋場の石浜神社の境内にありますが、これは登れません。近くでは浅草寺の裏の見蕃横丁にある植木市で有名な象潟町の浅間神社や根岸の小野照崎神社の富士山は、素晴らしくよく作られており、かなり高いのですが、六根清浄と唱えながら、ゆっくり安全に登れます。鴬谷の「笹の雪」豆腐屋の近くです。

当時、富士山から溶岩を港まで運び出し、船積みして隅田川をさかのぼり各現地に運搬し構築され、相当な大金がかけられてます。人々の信仰の厚さが感じられます。

もう一つ登って頂きたい山があります。JR東十条駅または埼京線の近くにある十条富士神社です。6月30日と7月1日はすごい人出で身動きできない状態で露店商の数も多いです。かなり高いのですが、この富士山も登れます。ぜひ、次回は富士山巡りをやってみてください。

昔は、医療が発達しておらず、6月の梅雨期に入ると急性感染症の疫痢や経口感染症の赤利が大流行して子供や体力のない老人が多く死亡し、ただ神仏に頼るしか、助かる方法がなかったのです。

すまいるたうん第220号平成24年7月13日