第34回コツ通りの上水道
コツ通りに上水道の設置工事が始まったのが大正12年(1923)に入ってからで9月1日の関東大震災の時は、工事の真最中でした。母の話では「地震の時、逃げる人達が上下水道工事のための鉄管で足をとられ、よく転んでいた。」とのことでした。
荒川区では大正8年11月に江戸川水系の江戸川水道の許可が下り、工事の着工を見ました。
大正11年4月9日には金町浄水場の工事が着工され、その4年後の大正15年8月1日から荒川区全土の上水道の給水が開始され、衛生的で安全な飲み水が使用できるようになったのです。
ちなみに大正13年10月12日には青山アキラ先生の計画された荒川放水路【現在は、荒川と名前が変わりました。何十万人の1微意との苦しい思いから造られ、特に半ば強制的に安い価格で田地田畑を取り上げられた農民や、その場所で生計を立てていた人達の思いを風化させてしまうような名称の変更は残念でなりません。荒川放水路は自然の川ではなく、人工の川であることを忘れないで下さい。】が完成し、南千住地域を洪水の悩みから救ってくれました。
さて、コツ通りの上水道は、大正の末より使用できるようになりましたが、それ以前は井戸水と堀割と川を利用していました。
明治政府は、江戸幕府が作った江戸の水の支配管理と維持管理を継承し、それを発展させてきました。
水が無くては、人間は生きていく事が出来ませんので、我々はその水を汚さないように努力し続けなければいけないのです。
コツ通りでも昭和30年代あたりまで井戸水を使用している家がありました。上水道が断水した時(敗戦後、昭和30年代は頻繁にあり)、バケツを持って井戸のある店に水を貰いに行きました。
また、長屋などは、水道代が高いので、家の中には上水道を引かず、全員で使用する共同水道(外(そと)水道)でした。
上水の話、下水の話、糞尿の話、塵芥(ちりあくた)の話いっぱいあります。次回にまた書きます。水を大切に。
まいたうん53号(2003年6月20日発行)