第30回 人集めの目玉はないか

暖かかったり、寒かったり気温の変化の激しい春分を迎えました。

去年の天王様の節分の際は足元がぬかるみで、豆まきのお菓子を拾う子供達は上から下まで泥だらけになっていましたが、今年はその心配もなく大いにたのしめたことでしょう。

昔は日が暮れると家々の窓が開き、「鬼は外、福は内」と大きな声が聞こえてきましたが、今は一軒もありません。家の戸口には柊(ひいらぎ)の枝に鰯(イワシ)の頭を刺したものが立てられ、鬼打豆と称した炒大豆をまいたものです。コツ通り商店街周辺でも一・二軒の家でヒイラギの枝が飾ってあるのが、見かけられました。このような行事を家族揃って行い、有意義な一夜で団欒の時を持つことが大切なのではないでしょうか。

現在は父親も母親も子供達も忙しくて、一日に全員が揃って話し合いをもつ機会が失われ、「親の心子知らず、子供の心親知らず」となっているのではないでしょうか。

昔の良き生活習慣を残し、少しはゆっくりした時間を持ち、家族で顔を見合わせながら、テレビやラジオや携帯電話を止めて、その日の出来事などを話し合って下さい。良い結果が得られますよ。賢人は歴史に学ぶと言っています。

たまにはゆっくりと、過去を振り返ってみてはどうですか。

今、コツ通り商店街も人が集まる何かないかと話し合っております。

江戸から明治に大きく時代を変えていった人々がコツ通りの回向院に眠っております。

橋本左内・吉田松陰・桜田門の変の水戸藩の志士・頼三樹三郎など、又、近代西洋科学を人々に目覚めさせた杉田玄白の蘭学事始の碑、昭和では陸軍青年将校達のクーデター2・26事件の首謀者の一人、磯部浅一大尉の墓やねずみ小僧次郎吉・読譜高橋お伝の墓、これらを地域起こしの目玉に、コツ通りの周りには史蹟や文化財が多く存在しており、歴史と近代工業発展の町として人々を集められないかと考えています。

読者の皆様のお知恵を貸して下さい。ご一報をお待ちしております。

まいたうん49号(2003年2月20日発行)