第5回縁日

◎コツ通りの縁日の話です。

いつごろから始まったかそのむすびづけがお地蔵様と云うことで、回向院の水野了仙住職のおくさまの水野澄江さんにうかがいましたら、昭和6年(1931)ごろにはそうとうの賑わいだったとのことで始まりはわかりませんでした。そこでコツ通り青果商一筋100年の近藤商店のマツおばあさんのお話でその始まりがわかりました。明治37年(1904)日露戦争のころ近藤栄次郎さんがコツ通りの商店主達とコツ通りをどうしたら賑やかにできるか話し合い通新町の真正寺の門前町あたりでやっていた夜店をお地蔵様のにぎわいと合わせて千住のテキヤの親分西岡組に油銭をやって毎月3回の夜店の縁日を開くようになったそうです。

縁日の日取は毎月5日・14日・27日の3回でした。その日程が決められたのは吉田松陰に関係があるようです。吉田松陰が伝馬町の牢獄で処刑されたのが10月27日、お地蔵様で有名な巣鴨のとげぬき地蔵が14日、そして松陰が改装されたのが1月5日と云う事です。私の子供のころのお地蔵様の境内は今よりずっと広くて入って左側にはよく縁日に見世物小屋があり、60年たった今でも「ロクロッ首の花ちゃん」は良くおぼえています。舞台のうしろが黒い幕で日本髪をきれいに結った若い女の人が表れ口上人の口上に合せてその人の首がのびて2~3m顔が上へあがったり右へいったり左へきたり、ただ目を丸くしておどろきながら身動きもせず見てました。お地蔵様の前はすごいお線香をあげる人で身動きが出来ないくらいでお線香の煙がもうもうとあがっておりました。

当時コツ通りの商店は150~160軒ぐらいでしたが全部が縁日には店を開けておりその他に露店が何百軒も交通止めになったコツ通りの両側にでるのですからそれはそれは大変なにぎわいでした。

露店の種類ですが今とはだいぶ違っているようです。若い方にはわかるでしょうか。

バナナの叩き売り・飴屋・切りざいく屋・どんどん焼屋・フライ屋・八つ目鰻屋・サザエの串焼屋・ソースパン屋ガマグチ屋・万年筆屋・詰将棋屋・ゴムひも屋・占屋・鼻緒屋・下駄屋・足袋屋・柳行香屋・古着屋・古本屋・古道具屋・おもちゃ屋・植木屋・バイオリン引き・伝道牧師・薬研堀の七味唐辛子・etc。

はだか電球の明りと、カーバイトの明りとでそれはそれは風情がありました。まだまだいっぱいありますが、次回にまた、健康で良いお年を!

 

第5回まいたうん23号2000年12月号