驚きました。石原慎太郎東京都知事が突然、辞職しました。

先月二十五日、私は夕刊デスクでした。午後に石原知事が緊急記者会見を開く、と都庁担当記者から連絡が入りました。すでに石原さんは、自分が代表を務める新党をつくろうとしているという記事が何度か出ていましたので、その構想を発表すると思われていました。

ただ私は、石原さんは知事を辞めるのだろう、と感じました。案の定でした。

石原さんが辞めると私が思った理由の一つが、橋下徹さんです。

橋下さんが大阪府知事に当選して間もない頃、初めて都庁を訪れ、石原さんに挨拶をしました。このとき、石原さんは橋下さんを、ことのほか手厚く出迎えました。応接室で記者はもちろん、秘書や都庁の役人も同席させず、二人っきりでじっくり話をしました。

会談終了後、出てきた橋下さんを私たち記者が囲みました。橋下さんは、すごく嬉しそうな、感動でぽぉっとしたような表情で「人生の先輩として、ありがたい話をいただきました。もう、一言一句が、勉強になりました。何十年ぶりかで、ノートというものを取りました」と話しました。テレビのワイドショーなどで歯に衣着せぬ論評をしていた姿からは想像もできない感動ぶりでした。

その後、石原知事の定例記者会見がありました。当然、どんな話をしたか質問が出ました。石原知事は「いささかの先輩として、苦い経験からの忠告をしました。僕が知事に就任した時に中曽根(康弘元首相)さんから五カ条くらいの忠告を得たんだが、それを伝えました」と説明しました。五カ条の忠告とは? という質問は「そりゃあ、ちょっと言えねぇなあ」と、にやりと笑ってかわしました。

あれから五年。大阪市長に転じた橋下さんは「日本維新の会」を設立、国政の「第三極」を目指しています。五年前に橋下さんと意気投合した石原さんが、都知事を辞めて国政に打って出るとしたら、今がチャンスと思ったのでしょう。

ただ新聞でも報じているように、石原さんと橋下さんは、訴えている政策がだいぶ違います。今後に注目しましょう。

さて、石原都政の評価はさまざまですが、私がどうしても忘れられないのが、都庁担当時代に取材した、新銀行東京への税金四百億円投入です。

銀行の貸し渋りに悩む東京の中小企業を救おうという石原さんの発案で、東京都が税金から資本金を出して設立した新銀行東京。理念は良かったのですが、あっという間に経営難に陥ってしまい、穴埋めのため、都民の税金四百億円をつぎ込まざるを得なくなりました。与野党から疑問の声がありましたが、結局は都議会で可決、投入されました。

新銀行東京の問題は今も解決していません。石原都政の負の遺産と言っていいでしょう。新しい都知事がどう取り組むか、注視しなくてはなりません。

その後、荒川区で、少し驚くことがありました。 三年前の東京都議選です。

荒川区選挙区に、新銀行東京の元執行役が立候補しました。出馬の動機について、「新銀行が失敗した原因は何かを明確にしたい」と話していました。この人は、新銀行東京の経営の、かなり中枢に近いところにいた人です。その人が、選挙という場に出てくるのは想定外でした。結果は、落選でした。

さて、話を現在に戻しましょう。先日、投開票された荒川区長選に続き、十二月には東京都知事選、そして、野田首相の言葉を借りれば「近いうち」にあるらしい衆院選、そして来年は東京都議選、参院選。半年と少しの短い間に、大きな選挙が次々に行われます。私たち社会部、したまち支局は、まだまだ忙しい日々が続きそうです。

(東京新聞 社会部 部次長

〔前・したまち支局長〕 榎本哲也)

すまいるたうん232号