図書館について先月、この欄で書きましたが、奇しくも図書館にかかわる大きな問題が起きました。広島原爆の悲劇を描いた有名な漫画「はだしのゲン」です。
島根県の松江市教育委員会が、市内の小中学校に、学校図書館で「はだしのゲン」を本棚に置かず、倉庫に収める「閉架」として、子どもの閲覧を制限し、貸し出しもやめるよう要請していた、という記事が、先月十七日の朝刊に掲載されました。
すでに松江市教委は閲覧制限を撤回しましたが、かいつまんで経緯を書きます。
この問題は、ある松江市民が、「はだしのゲン」の表現に問題があるから、学校図書館から撤去してほしいと、市教委に訴えたのが、そもそものきっかけだったそうです。その人の意見を聞いて、市教委事務局の職員が「はだしのゲン」を読んで、「作品の後半にある性的暴行の場面に驚いた。子どもへの配慮が必要だ」と考え、その「配慮」として、市内の小中学校に「閉架」と「閲覧制限」を要望したそうです。
ここで思い出していただきたいのが、前回この欄でご紹介した、「図書館の自由に関する宣言」です。
この宣言は、図書館が、本などの資料を収集する自由、利用者に貸し出すなどする自由を持っている、という内容です。
この「自由」は、図書館が勝手気ままにやっていいんだ、ということではありません。「宣言」を読むと、憲法の「国民主権」を維持発展するためには、国民「知る自由」が大切で、それを保障するには、国民が必要とする資料を図書館が提供できるようにしておかなければならない。その役目を果たすために、専門知識と経験をもつ図書館員が、利用者に必要な本を幅広く集める「自由」ということです。
この「宣言」を踏まえて、日本図書館協会の委員会は松江市教委に、「はだしのゲン」の閲覧制限を考え直すよう求めました。
松江市教委が学校に要望した、学校図書館での「閲覧制限」は、年齢によって図書館の利用を制限する「目立たないかたちでの検閲」にあたる、というのが理由の一つです。「宣言」では、図書館は「あらゆる検閲に反対する」と言っており、この点から見逃せないということでしょう。
また、子どもの「知る自由」を制限することは、日本も批准している、国際連合の「児童の権利条約」に反する、というのが、もう一つの理由です。これも、何でもかんでも子どもに自由に読ませろ、「知る自由」を認めろ、とは言っていません。公の秩序に反する場合など、例外はあるけれども、「はだしのゲン」は例外にはあたらないと言っています。
「はだしのゲン」閲覧制限の問題に対しては、被爆地の方々などから大きな反発が起きましたが、図書館にとっても、その存在意義にかかわる問題だったようです。
子どもにこんな本、あんな漫画を読ませたくない、そういう考えは、私にもあります。ですが、これだけ情報があふれている時代、学校図書館から撤去したり、閲覧制限したりしたからといって、子どもへの「悪影響」が、仮にあったとしても、避けられるものではありません。それよりも、それぞれの大人が、良い本を子どもたちに薦めることのほうが大切だと思います。そのためには、図書館に、なるべくたくさんの本がそろっていて、そこから選べるようになっていることが大切です。
むしろ私は、最近の子どもたちは、子ども向けの本でも、厚くて複雑な内容の本を、あまり読まなくなっていると感じています。検索すればすぐに答えらしきものが出てくるインターネットの影響でしょうか。
全十巻、せりふも登場人物も多く、戦争や昭和の歴史を少しは理解しながら読まなければならない「はだしのゲン」のような漫画は、こうした読書が苦手な子どもたちに、長編の物語を読むきっかけにもなるのでは、と私は思います。
(東京新聞 社会部 部次長 〔前・したまち支局長〕 榎本哲也)