伊豆大島は、読者のみなさんにとって、どのくらい身近な存在でしょうか。そんなことを考えながら、十月から十一月にかけて、ニュースデスク席に座って新聞を作っています。
伊豆大島の土石流災害は、多くの尊い命を奪いました。この原稿を書いている時点でも、行方の分からない方がいて、捜索活動が続いています。同僚記者も、伊豆大島で取材を続けています。
伊豆大島は、島そのものが火山です。島民の方々は、火山には先祖代々、受け継いだ警戒心を持っておられると思います。しかし台風は、あまり想定しておらず、島民の方々は、被害の大きさに衝撃を受けているようです。
私は日々、現地の同僚記者と連絡をとりながら、島の人々の気持ちが少しでも読者のみなさんに届くよう心がけて記事をチェックし、紙面に載せています。
伊豆大島は、東京都です。船で丸一日以上かかる小笠原諸島も東京都ですが、伊豆大島は高速船で一時間半で行けます。昔は、現在もありますが、夜遅くに竹芝港を出港、早朝に伊豆大島に到着する船だけでした。ずいぶん便利に、そして身近になったと思います。
災害の取材では、取材する現場の記者も、本社で指揮するデスクも、いろいろな面で神経を使います。
被災者の方々は、家を失い、家族がどうしているか分からず、途方に暮れています。そんなときにお話を聞くことは、ひとつ間違えればその人を傷つけてしまいます。それでも、お話を聞かなければ、その人の気持ちや願いをお伝えできません。こうした取材には、ノウハウやコツはありません。誠意を尽くして、その人に向き合うしかありません。
記者自身も、細心の注意を払って取材しなければなりません。記者が二次被害に遭えば、現地の方々にもご迷惑をかけてしまいます。かといって現場に出て取材をしなければ、記事は書けません。状況を判断し、本社のデスクとも連絡を密にしながら、できる限りの取材を重ねて書いた記事は、十一月に入ってからも連日、紙面に載っています。
私自身、過去に取材で伊豆大島を含む伊豆七島に何度か行きました。特に、三宅島には計三回、行きました。
三宅島も、伊豆大島のように、火山と共存せざるを得ない島です。おおむね二十年に一度は大きな火山噴火があり、最近も二〇〇〇年に噴火がありました。火山の取材でも、別のテーマの取材でも、島民の方とは、何かと火山が話題になりました。そんな三宅島に代々、住んでいる、おばあさんが笑顔で言ったことが、今も印象に残っています。
「火山があって大変な島で、不便な島で、大きな町もない島なんだけどねぇ。でもね、いいところなんだよ~」
どんなところが、島のいいところなのか、よそ者の私がうまく表現できませんが、同じ「田舎」でも、都会から陸続きの村よりも、海を隔てた島の方が、都会の煩わしさや騒がしさから遠く離れた、のんびりした空気が、よりいっそう漂っている。そんな感じはします。
伊豆大島の復旧にはまだ時間がかかりますが、被害があった元町地区以外は、おおむね普段通りの生活をしています。
今月一月、伊豆大島で最大の観光イベント「椿まつり」を、来年一月二十六日~三月二十三日に、予定通り開催することが決まりました。今回が五十九回目で、地元の民謡や踊りが披露されるそうです。島では、まつりを島のイメージ回復につなげたいと考えているそうです。
遠い島のようですが、南千住からJRを乗り継いで二十分ほど、浜松町駅から歩いて十分ほどで竹芝桟橋。そこから船で一時間半です。近くにある東京の島へ、この機会に足を運んでみて下さい。
(東京新聞 社会部 部次長〔前・したまち支局長〕 榎本哲也)
すまいるたうん268号