前回、この欄で書いた「三社祭七百年祭・舟渡御」が三月十八日に行われました。鎌倉時代にあたる一三一二(正和元)年に初めて行われた、三社祭の起源とされる「舟祭」を再現する行事です。江戸時代には行われていましたが、明治維新に途絶え、五十四年前、浅草寺の本堂再建記念にいちど再現されただけです。
浅草の観音様は、隅田川を流れてきて、漁師の兄弟の網にかかってこの世に現れた。この言い伝えにちなんで、神輿を船に乗せて隅田川を航行するこの行事、かなり準備が大変でした。記録がほとんど残っていなかったからです。
江戸時代の祭りの様子は当時の絵に少し描かれているだけ。五十四年前の祭りの記録も、当初は、十枚ほどの写真しかないと思われていました。
実際、私たち支局の記者も、年齢からいって当時をご存じのはずの住民の方々にずいぶん聞き回りましたが、舟渡御をはっきり記憶している方はわずかでした。
五十四年前、一九五八(昭和三十三)年といえば、東京タワーが完成した年。「狩野川台風」が襲来し、荒川区では区域の約半分、五万平方メートル三万七千世帯が浸水する被害が起きた年です。高度経済成長が始まっていたとはいえ、まだまだ、誰もが祭りを盛大に祝おうという時代ではなかったのかも知れません。しかも五十四年前の舟祭は、十一月でした。言い伝えの三月とも、本来の三社祭の五月ともだいぶ離れた時期でしたから、参加した人も限られていたようです。
船は何隻か、どんな編成がいいのか。試行錯誤が続きましたが、準備を進めているうちに、台東区役所の記録映像にわずかながら昭和三十三年の舟祭の様子が撮影されているなど、ないと思っていた記録が少しずつ見つかり、次第に昔の舟祭の姿が見えてきました。
一基一トンもある神輿を三基も船に載せて隅田川を行き来するわけですから、悪天候なら危険なので二日後に延期、その日も悪天候なら中止という計画でした。さて当日。みごとに雨でした。朝から関係者のみなさんは心配していましたが、豪雨にはならず、次第に止んできたので、予定どおり決行されました。当初、実行委員会の中には「それほど観光客は来ないだろう」と言う人もいましたが、さにあらず。吾妻橋や言問橋には、あふれんばかりの観客が、神輿を載せた船の様子をカメラに納めようと群がりました。
歴史的な瞬間をこの目で見たいという気持ちは、たくさんの人にあるのでしょう。取材に携わり、隅田川を航行する神輿の姿を見ることができた私も、とても貴重な体験をさせていただきました。
さて、荒川区にとっても、ことしが歴史的な年になるかも知れません。
ご存じの通り、荒川区出身の競泳・北島康介選手の、ロンドンオリンピック出場が決まりました。百メートル、二百メートルの平泳ぎで、どちらも金メダルを取れれば、三大会連続二冠という偉業となります。
八年前、私はアテネ五輪での北島選手の活躍に沸く地元、荒川区を取材しました。北島選手が幼少時に泳いだ南千住の荒川総合スポーツセンターのプールでも大型画面を前に、子どもたちを含むたくさんの区民が応援していました。
五輪閉幕後の九月八日に北島選手が荒川区役所へ凱旋、二千人が詰めかけました。私はあの日、区役所前広場で、北島選手の姿を一目見ようと駆けつけた高校三年生の女の子に話を聞きました。「頑張れば夢はかなうんですね。私もダンスを頑張りたい」と笑顔で話していました。今は二十六歳になった女の子は、どんな夢がかなったのでしょうか。
百メートル平泳ぎでは日本新記録をマークしての五輪出場を決めた北島選手が、八年前のあの日を上回る感動を、荒川区に届けてくれることを祈ります。
(東京新聞したまち支局長 榎本哲也)
すまいるたうん211号