「へ~、新聞記者って、記事とか書いたりするの?」

取材や仕事以外のプライベートで、初対面の人に自己紹介したときなどに、よく、こんな反応が返ってきます。先日、高校時代のクラス会があって、三十年ぶりの再会をした旧友からも言われました。そりゃあもちろん新聞記者だから、記事を書くのが仕事です。

聞かれるたびに、どうも新聞記者というのは、どんな仕事なのか一般の人にはなかなか意外にイメージしにくいのかな、と思います。あるいは私の容貌が、みなさんが思うような「新聞記者」とはほど遠いのかも知れませんが…。

確かに、記者会見で内閣官房長官などに質問している場面などはテレビでご覧になると思いますが、記者会見は私たちの仕事のごく一部でしかありません。

人と会って話を聞いて記事を書く、私たちの仕事は、簡単に言えばそれだけなのですが、「話を聞く」と言っても、いろいろな場面があります。記者会見に出る、電話をする、自宅や勤務先を訪ねる、街角で声をかける、集会などに集まっている人に声をかける、取材しているテーマに詳しい人や関係者を捜し出して会ってもらう、など。急ぎの取材なら「夜回り・朝駆け」と言われる、約束無しで自宅を訪れて取材することもよくあります。

新聞社も会社ですから、管理職や役員になる人もいますが、そうした立場になっても、記事を書き続けている先輩もいます。そうした人でも、新人記者でも、本や資料で下調べして、取材対象となる人を探して、会っていただいて話を聞く。この基本は同じです。

今月七日の夕刊社会面(九ページ)に、『原発避難2年 飯舘村女性が針物』という記事が大きく掲載されました。この日の夕刊ニュースデスクは私が務めましたが、この記事を書いたのは私の先輩で、本社の部長を務めている方です。管理職の仕事の合間を縫って取材したそうです。

この先輩のように、取材現場を離れても、自分がこだわり続けているテーマを少しずつでもコツコツと地道に取材をして記事を書き続けている人はいます。

私自身、今の仕事は、本社のニュースデスクです。現場記者に指示を出したり、原稿をチェックしたり、その日のトップ記事を何にするか判断したりするのが、主な仕事です。以前よりも、自分で取材して記事を書く機会は減っています。

それでも、いくつかのテーマの取材は出勤前や勤務終了後、非番の日などの時間を使って続けていまいます。プライベートの時間を削るなんて仕事人間だと思われそうですが、取材する、記事を書くことそのものが好きなのだと思います。

先月十八日の朝刊では、「A to Z・東京都制七十年」という一ページ特集の記事を一人で書きました。私は過去に東京都庁担当記者を通算四年ほど務め、今も都政には関心があり、現在の都庁担当記者と相談して、この紙面は私が担当することにしました。

そのほかにも、いくつか進行中の取材があり、近日中に記事が書けそうなものもあります。まだいつ紙面に掲載できるか分からないので、ここで内容は書けませんが、記事には私の署名が入りますので、見かけたら読んでみて下さい。

冒頭に高校時代のクラス会があったと書きましたが、記憶している限りでは、私が新聞記者になりたいと最初に思ったのは、まさに高校二年の時でした。担任の先生に、将来の進路希望を聞かれて、そう答えたのを覚えています。

この原稿を書いているのは三月九日。東日本大震災から二周年を目前に、忙しさがピークを迎えていますが、自分が高校時代に希望した仕事が今、できている幸せをかみしめながら、頑張ろうと思います。

(東京新聞 社会部 部次長〔前・したまち支局長〕 榎本哲也)

すまいるたうん244号