ふだんの年も、したまち支局にとって三月は忙しい月です。三月十日、現在の墨田区などを襲った東京大空襲に関する取材に取り組むからです。

今年は、それにも増して忙しい日々を過ごしています。言うまでもなく翌日の三月十一日は東日本大震災から一年。日本の歴史の中で、決して忘れることのできない、忘れてはいけない日が、二日続いてしまったことに、何か特別な意味を感じざるを得ません。この二日間に向けて、私たちも取材を重ねています。

東京大空襲の連載記事「記憶」は、すでに社会面へ掲載しましたが、この原稿を書いている三月六日(火)も、大空襲関係の取材が続いています。少し先ですが、四月十八日、荒川区の「尾久初空襲」に向けても、取材を進めるつもりです。

大震災一年では、TOKYO発「その時何が起きるのか―首都直下地震」などの記事を、したまち支局の記者が取材・執筆しています。

世界が変わってしまったかのようなあの日からの一年間が、私には、とても長く感じられましたが、みなさまはいかがでしょうか。震災の被害は荒川区でもありましたし、都内では荒川区と足立区だけで行われた計画停電という事態もありました。局所的に高い放射線量が、荒川区でも検出され、行政の測定や除染のあり方が問題になりました。

荒川区だけでも、これだけの問題が起きたのですから、あの大震災、そして福島第一原発事故が日本に、世界に及ぼした影響ははかり知れません。

私たちもこの一年間、悩み、戸惑いながら紙面を作ってきました。東北の壊滅的な被害を報道する一方で、地元東京の被害をどう伝えるか。放射線量をどう評価すればよいのか。今も悩みながら、少しでも多くの情報を提供できるよう取材を続けています。

二年目も、まず足元、荒川区をはじめ東京下町の問題に目を向けながら、大震災、原発事故の取材を続けます。

もう一つ、三月には楽しい話題もあります。

三月十八日、台東区・浅草で「三社祭七百年祭・舟渡御」があります。三社祭は五月ですが、江戸時代には三月十八日に、神輿を舟に乗せて、隅田川をこぎ上がる祭りでした。これ再現するのが、「舟渡御」です。一九五七(昭和三十三)年以来、五十四年ぶりの再現です。

この三社祭は、浅草寺のとなりにある浅草神社の例大祭ですが、浅草神社の神様がどんな人かご存じでしょうか?

二人の漁師の兄弟と、一人の文化人です。漁師の兄弟が隅田川で漁をしていたら、人形みたいなものが網にかかった。何だろうと思い文化人に聞いてみたら、おお、これは尊い観音像だ、と言った。文化人は自宅を寺にして観音像を納め、のちに三人を神様としてまつる神社ができた、といわれます。

古事記や日本書紀に登場する神々ではない人を神様とする、庶民信仰であることが、浅草の特徴です。

浅草の北、南千住の回向院には、井伊直弼を暗殺した浪士たち、大泥棒・鼠小僧次郎吉、侠客・腕の喜三郎といった、歴史の教科書にその名は登場しないけれども、今も語り継がれている歴史上の人物の墓が多く、街歩きの人気スポットとなっているようです。私も、南千住を訪れると、鼠小僧さんの墓には何となく足が向きます。弱きを助ける義賊だったという伝説が真実かは分かりませんが、二百年近く人々の記憶に残り続けているこの人は、きっと単なる窃盗犯ではない、この時代なりの正義を体現した人だったのではないかな、と、墓前で考えます。

歴史の片隅にいながら、私たちの心に残っている人々の墓を訪ねて手を合わせるのも、庶民信仰の一つなんだろうと思います。

(東京新聞したまち支局長 榎本哲也)

すまいるたうん208号