浅草・雷門のすぐ南にある、この支局での勤務は、通算で三年になります。支局で担当する八つの区の中でも、荒川区には、浅からぬ縁を感じています。
最初に着任したのは二〇〇四年夏。初仕事が、アテネ五輪で大活躍した荒川区出身の競泳、北島康介選手の地元取材でした。西日暮里の実家や、南千住のスポーツセンターなどを駆け回り、人々の期待、声援を取材しました。
二つの金メダルを手に北島選手が荒川区役所に凱旋した日の取材を済ませ、やれやれ五輪は終わったなあ…と、のんびりしていたら、九月十八日、荒川区長汚職事件が起きました。
警視庁が区役所へ家宅捜索、区長・助役不在の区議会、そして出直し区長選。たいへんな事件でしたが、支局着任から三カ月余り、荒川区ばかり取材して、荒川区のたくさんの方々と知り合うことができました。
その後、私は二〇〇五年の夏に本社へ転勤。二〇〇九年夏、こんどは支局長として、したまち支局に戻りました。
私を含め五人の記者がいる支局が担当するのは、北、足立、荒川、文京、台東、墨田、葛飾、江戸川の計八区。取材対象は幅広く、区役所や区議会、事件事故、区内に住む人、企業、商店、団体、歴史や文化など、すべてです。とは言っても五人でできることは限られますので、数あるニュースや話題のうち、何を読者のみなさまにお伝えするべきなのかを毎日、走りながら考え、取材を続けています。
支局発の記事は内容によって、したまち版、社会面、最終ページの「TOKYO発」面、一面などに載ります。最近の大きなニュースは、東京スカイツリー、上野のパンダ、そして、やはり大震災・原発事故です。
スカイツリーの取材は、ほとんどすべて、したまち支局の記者が担当。建設の進捗状況などを、したまち版や社会面に書くほか、月一回はTOKYO発面で「スカイツリーのある街」と題し、周辺住民の動きを紹介しています。
上野動物園に来日したパンダの連載記事を、今年の二月十八日から二十日まで、朝刊一面で「大熊猫再来」と題して、支局発で掲載しました。その第一回で、興味深いエピソードを取り上げました。中国にしか生息していない希少動物であるパンダを各国の動物園に貸し出す時、どのパンダにするかは必ず中国側が選んでいました。ところが今回は、日本の上野動物園に、選ぶ権利があったのです。上野のスタッフが現地へ行き、いちばんいいと思ったオスとメスを選んだのです。これは史上初めてのことで、それだけ中国側が上野のパンダ飼育の実績を信頼していたのです。このエピソードは当時、どこの新聞も書いていない特ダネでした。
パンダが来日した直後の三月、東日本大震災、福島原発事故が起きました。それ以来、東京新聞の本社はもちろん、したまち支局も震災・原発が、あらゆる取材にかかわっています。足立区にある東京武道館が避難所になっていたころ、支局の記者が毎日のように通いました。計画停電が行われないと当初は言われていた東京二十三区で、荒川区と足立区だけは計画停電が実施されました。浅草・三社祭は神輿渡御が中止になりましたが、隅田川花火大会は、鎮魂の意味も込めて開催されました。最近は、都内の放射線量、液状化も問題になっています。
小さな支局ですが、全国に発信するニュースから、街角の小さな話題まで、荒川区をはじめ八つの区の動きを日々、追っています。折に触れ、この欄で、取材現場でのつぶやきをお伝えします。
すまいるたうん190号