五月、したまち支局は短期間にいろいろなできごとが重なって、大忙しでした。

十九、二十日は、台東区で浅草・三社祭があり、お隣の墨田区ではスカイツリー開業を祝う墨田区民イベントがありました。十九日には浅草と墨田区の両方で、たくさんの神輿が練り歩きました。

その二日後の二十二日には東京スカイツリーの開業。この日に向けて支局の歴代記者は長いこと取材を続けてきました。「第二の東京タワー」建設地の第一候補が墨田区に絞り込まれたのが二〇〇五年三月二十七日ですから、じつに七年間です。

直前の二十、二十一日の朝刊の一面や社会面には、人生の大きな転機にスカイツリーとの出会いがあった人を紹介する記事を三本、掲載しました。このうち、一面に掲載したのは、福島第一原発からわずか三㌔の福島県大熊町に住んでいて、現在はスカイツリー近くの墨田区本所の中学校に勤務する女性教員の物語でした。長くスカイツリーを担当している支局の記者が、地元の墨田区を地道に取材して、出会った人です。

スカイツリーが完成時の高さ六百三十四メートルに到達したのは、東日本大震災・福島第一原発事故が発生した一週間後の昨年三月十八日のこと。スカイツリーを語る上で、大震災・原発事故のことは、どうしても忘れることができません。開業直前にふさわしい記事だと考えて大きく扱いましたが、いかがだったでしょうか。

そして開業の二十二日は、本社からもたくさんの記者が墨田区に集まって、早朝から取材にあたりました。

大変だったのは、夕方、天望回廊(高さ四百五十メートル)へのぼるエレベーターが強風で停止したトラブルの発生です。

何しろ「世界一高いタワー」とギネスブックにも認定されたスカイツリーですから、上空の風も地上の比ではありません。安全最優先でエレベーターを止めることじたいは悪いことではありませんが、「強風が吹くと、止まって展望台に上れない場合もあります」ということを、スカイツリーの運営会社が事前にしっかりPRしたかと言えば、ちょっと疑問です。良いことばかり宣伝するのではなく、あまり大きな声で言いたくないであろうことも、ちゃんと宣伝しておくことが、結果として信頼につながると思いました。

スカイツリー開業の翌々日、二十四日には、江戸川区の葛西臨海水族園から三月に脱走していたフンボルトペンギンが発見、保護されました。

三カ月もの間、東京湾や江戸川で何度か目撃情報はありましたが、ずっと行方知れずでした。迷子になって困っていたのでしょうか、それとも自由気ままに泳いでいたのでしょうか。

このペンギン、水族園に無事に保護されたあとも、話題が尽きません。獣医さんが診察したところ筋肉りゅうりゅうだったり、展示場に戻してみたら群れに加わらず、岩で孤独にたたずんでいたり。すっかり人気者です。

この通り、五月は目まぐるしく過ぎ、近ごろようやく一段落しました。

私は先日、久しぶりに仕事を早めに済ませ、学生時代の先輩をお誘いして、墨田区の鐘ケ淵でお酒を飲みました。東武線の駅前に伸びる「鐘ケ淵通り」は、別名「酎ハイ街道」と呼ばれるほど、小さいながらも個性的で、安くておいしい居酒屋がたくさんあります。みなさまがお住まいの南千住から、隅田川を隔てて東、汐入公園から水神大橋を渡ってすぐですから、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。(お酒が嫌いな方には、失礼しました)

というわけで、大きな節目を終えた支局ですが、一息ついたあとはいつも通り、地道に街を歩いて取材を続けています。

(東京新聞したまち支局長 榎本哲也)