突然の解散、衆院選です。その取材やデスク業務で、師走に入ってから大忙しの毎日を送っています。
十四日が投開票日です。この「すまいるたうん」が配られるのは十三日ごろの予定ですので、選挙で頭がいっぱいの私ですが、ここでは選挙のことはあまり書かないでおきます。
どのような結果になるにせよ、国会は私たちの暮らしや未来を決める大切な場です。そこで何が議論されているのか、いないのか。何が決められたのか、それが私たちにとって大切なことなのか、私たちの願いに沿っているのか、ずれているのか。しっかり見極めて、紙面で皆さまにお伝えしていかなければいけないと思っています。
ノーベル賞の授賞式がありました。日本人三人が物理学賞を受賞したことは、みなさんも喜ばしいニュースとして受け止めたと思います。私も、かつて取材した人が受賞したことを、とても嬉しく思いました。
以前にもこの欄で書きましたが、私は名古屋で記者をしていたころ、大学の取材を担当していました。この取材はとても幅が広く、学生のサークル活動や国際交流活動といった話題から、大学教授の研究成果、さらには大学病院で医療の取材もしました。
その取材の一環で、名古屋にある名城大学も三回ほど訪ねました。いずれも今回、ノーベル賞を受賞した三人のうちの一人、赤崎勇先生の取材のためでした。
当時すでに、半導体や発光ダイオード(LED)研究の分野で有名だった赤崎先生は、名古屋の大学担当記者としては目が離せない存在でした。と言っても、法学部出身で理科も数学も苦手な私にとって、研究内容を理解するのは一苦労でした。二十年も前のことなので、まだLEDは身近な存在ではありませんでした。先輩から勧められた入門書を、入門書とは思えないほど難しいなあと思いながら読み、取材に際しては、失礼とは思いながらも、わからない点を何度も質問して、何とか記事を書いた覚えがあります。
このときの取材は、半導体の基礎研究で赤崎先生が、ある賞を受賞したという内容でした。その際、赤崎先生は、「この賞は、私の弟子との共同受賞。弟子のことも記事にして下さい」とおっしゃいました。赤崎先生は当時、六十五歳。研究室にいた、赤崎先生と同じように、穏やかで謙虚な感じのお弟子さんは当時、三十三歳でした。私は、赤崎先生の記事とは別に、このお弟子さんのことも、小さな記事ですが、書きました。
このお弟子さんこそが、今回、赤崎先生と共同でノーベル賞を受賞した、天野浩先生だったのです。当時は名城大の講師でした。
その後、私が転勤で東京に戻ってから何年かすると、赤崎先生の研究はさらに注目を集め、ノーベル賞候補の一人として新聞で紹介されるようになりました。それが、天野先生と共同でノーベル賞を受賞するとは…。驚きとともに、とても嬉しく思いました。
繰り返しになりますが、赤崎先生と天野先生は、本当に穏やかで謙虚な方だった印象が強く残っています。
お二人が発明した青色LEDは、道路の信号機に広く使われるなど、暮らしに欠かせないものになっています。はるか昔、ごくわずかな回数とは言え、お二人に会って取材した経験から、おごり高ぶったりしない、謙虚な人こそ、未来に残る偉大な業績を残すのでは、と実感した次第です。
取材や日常生活では、たくさんの出会いがあります。小さな出会いも一つ一つを大切にして、みなさまにより良い記事をお届けしたいと考えています。