日々、新聞に載るたくさんの記事には、「続報」も多くあります。
たとえばある日、大型バスの衝突事故の記事が載ったとします。これは「初報」記事です。いつ、どこの、何
の近くの、何という名前の道路で、どんなバスが、何にぶつかって、バスには何人乗っていて、何人けがをした
のか、といった、事故の詳しい内容が載ります。
その翌日または何日か後には、事故の状況や原因について、新たに判明した事実を記事にします。例えば、運転
手が事故当時、居眠りをしていた疑いがある、という記事。例えば、実はこの運転手はろくに休みももらえず運
転させられていたことがわかり、バス会社の社長の責任も問われる、という記事。これらはいずれも、事故の
「続報」記事です。
こうした場合、その記事に、初報で書いたような、この事故がそもそもどんな事故かという説明を、どれだけ
書くか。そこが続報記事の難しいところです。
紙面の広さには限りがあるので、続報記事を書くたびに、いちいち事故の概要を繰り返し書くと、記事が長くな
り、ほかの大事な記事を載せるスペースがなくなります。かといって、何日も前の新聞に書いたことを、ちゃん
と覚えている人はいませんから、続報記事の理解を助ける程度の概要を書くことがあります。
増してや、初報が何カ月前、何年前といったかなり昔の場合は、初報で書いたその事故や出来事の概要を、詳
しく書かく必要があります。読みやすくするために、続報記事とは別に、事故や出来事の概要を説明した記事を
書いて添えることもあります。
私は先日、かなり以前に書いた記事の続報を書きました。
四月二十一日の朝刊一面に掲載した「ユダヤ人身元七十三年ぶり判明」という記事です。旧ソ連から福井県・
敦賀港に向かう連絡船の乗組員だった日本人が、その船に乗ったユダヤ難民のうち七人から、親切にしてくれた
お礼にと、写真を受け取った。その後のユダヤ難民たちの消息は不明だったが、このたびその一人の消息がわ
かった、という記事です。
実は、私は四年前の二月、この日本人の乗組員の遺品から、七枚のユダヤ難民の写真が見つかった、という記
事を書いて、朝刊一面に載ったのです。
ですから、今回の記事は、その続報です。でも、四年も前の記事を覚えていてくださる方は、ほとんどいない
と思います。ですので、この写真が見つかった経緯も、今回の記事に書きました。四年前の記事に書いたことそ
のままを書いては原稿がとても長くなってしまいますので、なるべく簡潔にまとめました。
この記事に登場するユダヤ難民は、ヨーロッパのリトアニアにあった日本領事館で、杉原千畝(ちうね)さん
から「命のビザ」の発給を受け、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害から逃れた人たちです。
以前も触れましたが、私は二十年ほど前、六千人以上のユダヤ難民の命を救った杉原千畝さんに関する連載記
事を書き、のちに「自由への逃走」という本(共著)にまとめました。その後も、勤務地や担当が変わっても、
関連の記事を、たまに書きます。今回のも、その一つです。
四月から五月にかけて私は、この記事の取材のほか、本業であるニュースデスクの仕事では、憲法に関する記
事を数多く紙面に載せました。憲法記念日の当日、五月三日の朝刊も担当しました。将来、護憲か改憲かを有権
者として判断することになるかもしれない十代の若者に、憲法への思いを取材した記事を、社会面のトップ記事として載せました。
戦時中などの歴史を掘り起こす記事、日本の行方を決める憲法の、現在、そして将来についての記事。どちら
も大切にしていきたいと思っています。
(東京新聞 社会部 部次長〔前・したまち支局長〕 榎本哲也)