第33回 コツ通り商店街の町おこし

5月4日にコツ通りの店主3名とお客様19名の計22名で「巣鴨のとげぬき地蔵」へ行って来ました。駅前から身動き出来ないほど賑わっておりました。コツ通りのお地蔵さんも「とげぬき」のように皆様にPRできるようなアイデアがないかと矢島豆腐店の矢島さんと話し合っています。

1603年江戸時代の徳川幕府によって江戸四宿が制定され、道路整備と伝馬制が確立されました。四宿には五街道あり、千住宿は二街道に交わっていました。その発展と繁栄は四宿第一で素晴らしいものでした。

※ 注 品川宿(東海道)・板橋宿(中山道)・内藤新宿(甲州道)・千住宿(日光道・奥州道)を四宿五街道と言います。

幕末から明治にかけ政策は変わりましたが、千住宿の北は、まだ江戸の物資の集散地でしたので、商業活動はそのまま継続していましたが、千住南(南千住・小塚原町・中村町)の経済は衰退の一途をたどりました。

そこで地元の有志家、田中矢太郎氏・渡辺太三郎氏・川村治兵衛氏等が南千住の発展を願い千住製絨所の誘致に成功し、その後も各企業の進出により近代工業の発祥の地となり、それによりコツ通り商店街としての力をつけました。

更に明治37年の日露戦争の頃、現在のコツ通りんで青果商ひと筋100年余の近藤政雄さんの先祖の栄太郎さんが『もっとコツ通りを賑わせたい』と縁日とお地蔵様とを組合わせ、夜店を月3回出店し大盛況でした。

昭和30年以後の大工場の地方移転によって人口が減り、また物資流通システムの変革により、コツ通り商店街も淋しくなってきました。

街興しでは、栗本商店の栗本友爾(故人)さんが昭和30年に栗友亭(東京漫才発祥の地)を興し頑張って下さいました。

現在のコツ通り商店街の我々役員も皆で力をあわせ、町興しの為に努力しております。

延命寺の延命地蔵を核として「巣鴨のとげぬき地蔵」に負けない商店街にしていきたいと尽力しています。皆様のお知恵とお力を貸して下さい。

まいたうん52号(2003年5月20日発行)