東京大空襲と早乙女勝元氏
編集委員(元したまち支局長)
植木幹雄
今回は、ちょっと重いテーマですが東京大空襲について書いていきます。発行日が三月中。そう、一九四五年の三月十日の大空襲から六十五年という節目にあたります。同時に、弊社から早乙女さんの関連本が出版されたこともあります。
東京大空襲は、一晩で下町のほとんどを火の海にし、十万人以上もの命を奪った非人間的な行為でありながら広島、長崎の原爆被害の影に隠れてしまい、海外はもちろん、国内ですらあまりよく知られていません。ましてや、指揮を執った、当時の米軍指揮官、カーチス・ルメイ将軍に、日本が自衛隊育成の貢献を理由に一九六四年、勲一等旭日大綬章を贈っていることも。
空襲の歴史は古く、飛行機が戦争に使われ始めた第一次世界大戦から、ドイツが飛行船でパリ、ロンドンを空襲すれば、英国もベルリンを空襲して応酬。無差別爆撃として有名なのは、一九三七年にスペインのフランコ政権を支持するドイツが、ゲルニカに行った空襲で、ピカソの作品のテーマになったことでも有名です。
その後日中戦争では、旧日本軍による中国・重慶爆撃。第二次世界大戦では、ドイツ軍が英国本土への無差別爆撃、連合国は、ドイツのドレスデンという美しい街を廃墟にするなど、数多く行われています。そして、通常爆撃で世界最大なのが東京大空襲です。
B29という名前を聞いただけで、思い出したくない記憶をお持ちの方もいると思いますが、日本の空襲被害は実のところ、国が正確な調査を行っていないこともあり、調査によって異なります。東京は計百六~百十数回、死者行方不明者は約十二万人という記述が多く、全国規模ではさらにばらつきがありますが、さまざまな記録を読んでいると五十万人以上というのが実態に近い数字でしょうか。
広島原爆の死者約十四万人、長崎約七万人、世界中に知られる先のゲルニカでは約千六百人とされていますので、一晩で十万人の死者を出した東京大空襲がいかに大規模だったか分かると思います。
ルメイ将軍の前任者は「人道的立場」から民間爆撃を避け、高々度爆撃で軍需工場・軍事施設を狙いましたが、効果が低いと軍に批判され、更迭されています。後任のルメイ将軍は、爆撃の専門家として非エリートコースから三十八歳で少将まで昇格した人物。どれほどのやり手か想像できますね。爆弾を燃えやすい焼夷弾に切り替え、効果の高い低高度爆撃で東京大空襲を含め全国の都市を無差別攻撃しています。もちろん国際法違反です。
この東京大空襲と正面から向き合っているのが作家の早乙女勝元氏です。ルポルタージュ「東京大空襲」がベストセラーになり、空襲の実態を世に知らしめました。今も、早乙女さんが呼び掛け、民間の寄付によってできた「東京大空襲・戦災資料センター」の館長を務めながら、執筆活動を続けています。
信念のある方ですが、堅苦しさはありません。私は十年近く前からお酒の席も含め何度かお会いしていますが、いつも笑顔を絶やさない、穏やかな紳士です。
私の出版局編集部長(現事業局出版部)の最後の企画が早乙女さんの本「下町っ子戦争物語」(税別1238円)で、今月出版されました。十二歳で東京大空襲を経験した氏に、少年の目に映った戦争というテーマでお願いいたしました。もちろん大空襲も書き込んであります。九日には出版に合わせ、江戸博物館で本社主催の講演会も開かれました。四百人の募集に倍近い応募があり、当日は厳しい寒さの中、会場は満席。正直、空襲への関心の高さ、早乙女さんの人気に驚きました。
本は書店だけでなく東京新聞販売店でも扱っておりますので、ぜひお読みください。読みやすい文章で、戦争とはなにかを的確に問いかけています。
早乙女さんは数多くの作品を執筆し、工藤夕貴さん主演の「戦争と青春」など映画、テレビドラマ、舞台、漫画の原作も多くあります。恋愛小説でも評価は高く、私たち早乙女ファンは勝手に「早乙女さんにロマン溢れる恋愛小説を書いてもらう会」をつくっています。早乙女さんは照れるように笑っていますが・・。ちなみに私もその一人です。