若いころ夢中で読んだ本は、何十年もたった今も愛着があります。学生時代に読んだ本はもちろんですが、新聞記者になって間もないころに読んだ本は、特に強い印象があります。おそらく、仕事が忙しくて学生時代ほど読む時間がなくて、それでも寸暇を惜しんで読んだからなのでしょう。
そうした本のひとつに、「ミカドの肖像」があります。天皇制という難しいテーマを地道な取材で描いた大作です。確か、私が入社して間もなく出版されました。二十代で読んだ本のベストテンに数えてもいいと思います。
それだけに、今回の事件はとても残念です。ジャーナリストの大先輩として尊敬していた、この本の著者、猪瀬直樹・東京都知事が、医療法人グループ「徳洲会」から、昨年の都知事選直前に、五千万円の資金提供を受けた問題です。
この問題は、まだ何が真実なのか、よく分からないところが多いので、憶測を避けながら、事実に即して書きます。
猪瀬知事が、五千万円という大金を、もらったのか借りたのか、選挙資金としてなのか個人的な借金なのか、それはともかく、都知事選の直前に受け取ったことは、本人も認めています。
都知事選に限らず、選挙で使うお金は法律で制限があります。また、政治献金(政治資金)も、あげる側、もらう側、それぞれに金額制限がありますし、いくらもらったかを報告書で公表する義務もあります。
猪瀬知事は、五千万円を「個人的な借り入れ」と話しています。都知事選の直前に、都知事選に出馬する予定の人が、初対面の人に、五千万円を借りる。これが果たして「個人的な借り入れ」なのでしょうか。もし選挙資金や政治献金なら、法律の制限を超えている疑いがあります。報告書への記載もありません。
政治とカネについての法律は、田中角栄首相の金脈問題やリクルート事件などをきっかけに、厳しくなりました。
政治とカネについての法律が厳しいのは、国民(都知事なら都民)みんなにとって良い政治をするべき政治家が、お金をたくさんくれた人に有利な政治をしてしまわないよう、歯止めをかけるためです。借りるくらい、いいじゃないか、報告書に書かなかったくらい、いいじゃないか―などと、この法律を軽く見ていると、お金をたくさん持っている人や会社、組織にとって都合の良い、ごくふつうの庶民にとっては嫌な政治が、どんどん行われてしまいかねません。結局は私たちの生活にしわ寄せがくるのです。
また、猪瀬知事の、政治家としての責任の重さも見逃せません。
猪瀬知事は四百三十三万票という、個人としては史上最高の得票で当選した政治家です。過去の都知事が得た票は、石原慎太郎さんが二〇〇三年の都知事選で三百八万票、美濃部亮吉さんが一九七一年の都知事選で三百六十一万票。選挙制度が違うので単純比較できませんが、安倍晋三首相が昨年、衆院山口4区で得た票は、十一万八千票です。
政治家個人としては、日本で最も高い支持を受けたともいえる猪瀬知事には、とても重い政治責任があります。
この原稿を書いている十二月九日には、都議会の委員会に猪瀬知事が出席して、五千万円の問題について質疑が行われました。都知事選で猪瀬知事を支援した自民党、公明党からも強烈な批判が相次ぎ、「即刻、知事の職を辞するべきだ」という、辞任要求まで出ました。与党議員からそのような発言が出るのは、異例の事態です。
この文章を読んでいただいている荒川区のみなさんも、猪瀬知事を選んだ都民です。他人事ではありません。今後の動きを注視して下さい。
(東京新聞 社会部 部次長〔前・したまち支局長〕 榎本哲也)
すまいるたうん271号