新聞記者は、どんな取材でも、現場へ行き、人に会って話を聞く、これが基本です。事件や事故に限りません。記事にする必要があると判断すれば、どんな人にでも会いに行きます。時には、そのテーマに関する知識が乏しくても、取材に行くまでのわずかな時間に大急ぎで勉強することも、よくあります。

こんなことを書こうと思ったきっかけは、ノーベル賞のニュースです。

ご存じの通り今月八日、京都大学の山中伸弥教授が、ノーベル医学生理学賞を受賞しました。その業績は、iPS細胞の開発。難しい言葉ですが、動物の皮膚などの細胞を、動物が卵子だったころの細胞に「初期化」して、これを、いろいろな病気の原因究明や治療に役立てようという研究です。たとえばiPS細胞から神経の細胞をつくって、脊髄を損傷して身体の運動機能を失ってしまった人に移植し、再び歩ける。こんなことも将来、可能かも知れないそうです。

ノーベル賞を選考する機関は賞によって異なります。山中教授の医学生理学賞は、スウェーデンのカロリンスカ研究所。平和賞はノルウェー・ノーベル委員会。文学賞はスウェーデン・アカデミー。そして物理学賞、化学賞、経済学賞は、スウェーデン王立科学アカデミーです。

ずいぶん前の話ですが、このスウェーデン王立科学アカデミーの、ノーベル物理学賞を選考する五人の委員のうち一人が来日する。その人を取材せよ、と私は先輩に命じられたことがあります。

当時、名古屋で記者をしていた私は、名古屋大学の取材が担当の一つでした。名古屋大学は、物理学では世界でもトップクラスです。その原点は、戦争中からここで教授を務めた故・坂田昌一さん。たくさんの優秀な弟子を育てたことで知られています。その弟子には、二〇〇八年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠さん、益川敏英さんの二人もいます。

私が名古屋大学を担当していたのは一九九四年。すでに小林さん、益川さんの理論は世界中で評価されていて、いつかノーベル物理学賞を受賞するのではと言われていました。その賞を決める責任者が来日して、名古屋大学に来る。で、お前、取材してこい―というのが、私に下った命令です。青ざめました。まだ担当になったばかりで、「小林・益川理論」も、さっぱり分かりませんでした。

事前に名古屋大学の先生に時間をいただいて勉強し、本を読んで、いざ取材当日。その委員は、ロンドン大学の女性教授。笑顔が素敵な方でした。

日本に来た感想、小林・益川理論についての評価などについて話を聞いたあと、こんな質問をしました。「日本の小学校や中学校では、『理科離れ』が深刻です。どうしたらいいですか?」

この質問に、先生はとても関心を寄せました。「理科離れは、世界的な傾向なんですよ。特に物理学は。早めに金持ちになって、偉くなるのには必要ない、と若者は思うのでしょう。でも、それでは本当の幸福な未来は生まれません。宇宙はどうして生まれたの? 時間って何? そんな疑問を持って取り組む物理学は、子どもの感性を育てる大切な学問なんです」

このインタビューを仲介してくださった名古屋大学の先生は、小林さん、益川さんの研究仲間です。その後もたびたび取材でお世話になりました。僭越ですが、間接的ながらも私に身近な人がノーベル賞を受賞したのは、嬉しいことでした。

荒川区にゆかりの深い人がノーベル賞をとったら、嬉しいですよね。たとえば、南千住の産業技術高専は、航空宇宙、ロボット工学などの人材をたくさん出しています。将来、卒業生がノーベル賞をとるのも、決して夢ではないと思います。

 

(東京新聞 社会部 部次長〔前・したまち支局長〕 榎本哲也)

すまいるたうん229号