「越山会(えつざんかい)」という名前に、ご記憶があるでしょうか。あの、故・田中角栄元首相の後援会です。

「日本列島改造」という大きなスローガンをぶち上げた角栄氏の、選挙での票集めはもちろん、のちに「田中金脈」といわれた資金集めの原動力となり、あのロッキード事件で逮捕されたのちも支えた組織が、この越山会です。

その越山会の、有力幹部だった人に、十年前、取材をしたことがあります。取材のテーマは、今では大変な問題になっている、原子力発電所でした。

新潟県にある、東京電力柏崎刈羽(かりわ)原発。日本海に面していますが、ここでつくった電気は本州の反対側の首都圏に送られますので、東京とのつながりが深い原発です。七基の原子炉は、名前の通り、新潟県柏崎市と刈羽村にまたがる広大な敷地にあります。

十年前に私が取材した、角栄氏の元後援会幹部は当時、七十三歳。かつて三十五歳の若さで、刈羽村の村長を務めた人です。私は、この村で行われた、原発をめぐる住民投票の取材に来ていました。

村には、この元村長と原発をめぐる、奇妙なうわさがありました。この人が村長だったころ、いま原発がある土地の取引で大もうけして、そのお金を角栄氏に渡した、というのです。

このうわさの真偽を確かめようと、村内で一人暮らししていた年老いた元村長に取材しました。元村長は意外にも、あっさり事実を認めました。

昭和四十一年、このころ現職だった村長は、日本海に面した村の広い土地を、自分で借金して買い取りました。そこは家も森もない、ただの砂丘でした。村長は当時、村人たちに、「ここを開拓して、桃を大量生産する」と言っていたそうです。

それから二年後、東京電力は、この土地を含む場所に、原発を建設するという計画を発表しました。

さらに三年後、元村長は、この土地を、東京電力に売りました。値段は五億三千万円。村長が五年前に買った値段の、二十倍以上でした。

しかも村長は、土地を売ったお金を、ボストンバックに詰めて、電車で東京に行き、目白にある角栄氏の邸宅へ持参したというのです。お金は、村長が直接、角栄氏に渡したそうです。

原発ができることをひそかに知って、土地を買って大もうけしたとしか思えない奇妙な取引です。そのお金を角栄氏にあげたことは、政治家のお金集めが法律で厳しく制限されている今なら、法律違反になる可能性があります。

その後、原発を誘致した刈羽村には、どんどんお金が入りました。電気料金の一部が交付金として入るからです。人口五千人の村の学校や施設は、どこも立派で、荒川総合スポーツセンターの二倍はありそうな巨大なスポーツ施設が、田んぼの真ん中に建っていました。

私は、説明を終えた元村長に、原発が村に来てよかったと思いますか、と尋ねました。元村長から、はっきりした返事はありませんでした。

これほどのお金が村に流れ込むことは、それだけのお金がなければ、誰も原発は引き受けないことの裏返しではないか。私は当時、そんな疑問を持ちながら、元村長の証言を記事に書きました。

あれから十年。福島の原発事故を目の前にして、新潟・刈羽村の、あのお金も、こうした危険が起こりうることへの代償なのではと、あらためて思いました。

原発事故による放射能汚染は、東京でも、ここ荒川区でも、他人事ではありません。日々、地域のできごとを追いかけながら、過去に、将来に目を向けて、取材を進めていきたいと思います。

(東京新聞したまち支局長 榎本哲也)

すまいるたうん199号