◎お久しぶりです
編集委員(元したまち支局長)
植木幹雄
二〇〇一年春から二年ちょっと、したまち支局で皆様にお世話になりました。その間、南千住販売店のミニコミに「はい 東京新聞です」というコーナーをいただき、下町を歩いての感想や思い、新聞社ってどんな仕事をしているの? などの疑問にお答えしてきました。
今回、ジョイフル三の輪を取材したのが縁で、中村所長さんや鬼塚さんに「昔みたいに何か書いてよ」といわれ、六年ぶりにお邪魔することになりました。よろしくお願いいたします。
さて、私事で恐縮ですが、その後は立川支局長、社会部デスク、出版局編集部長(現事業局出版部)と動き、この六月から、編集委員の仕事をしています。
皆さん、新聞で論説委員、編集委員と二つの肩書きが登場してくるのはお気づきでしょうか。ともに編集局長の直属で、専門分野を持つ記者ということになりますが、論説委員は朝刊1面の筆洗や論説など会社としての国際問題や政治、経済に対する意見を主張します。文字通り論じる記者たちの集団です。
これに対し、編集委員は夕刊1面「この道」や、企画、専門分野の記事を執筆します。政治部、経済部、運動部、社会部と出身はさまざまですが、ともかく現場第一主義。日曜最終面の「焦土からの出発」も編集委員の一人が担当している東京新聞の看板企画です。
じゃあ、私はというと恥ずかしながら専門分野がありません。社会部では国会やら農水、遊軍、都庁と短期間で動き、あとはデスクと支局長が十六年続き、じっくり腰を据えて取り組んだのは戦争問題と農政くらいしかありません。
それでも、支局四カ所を経験しているからか、東京や地方の地域問題担当ということで、九月から毎週土曜日のメトロポリタンのページで「商店街繁盛記」の企画を受け持っています。あとは、「21世紀フォーラム」という本社主催のシンポジウムのうち、東京に関係する問題をテーマとした企画と司会。九月には「神田川」、十一月には「都の企業」を担当し、後者は旧航空高専の島田一雄元校長にもパネリストとして、熱弁をふるっていただきました。ちなみに十二月十日の東京新聞に二ページ特集で掲載されています。
ほかには、編集委員が交代で担当するコラム「編集委員室から」(月曜日)、来年一月から再開する「あの人がいた街」(火曜日だっけかな)。とこんな具合です。
ちなみに、神田川シンポでは、それまで神田川は部分的にしか見ておらず、聞かれて答えられないのもしゃくなので、休日を利用し、武蔵野市から隅田川までの三十六キロと、小名木川の約五キロ、でも川沿いのビルを迂回しながらですので、合計五十キロ以上を二日がかりで歩きました。ともかく現場を歩け、です。
さて、四百字という予定だったこのコーナーですが、スタートから一ページ丸ごと埋めることになり、苦笑いしています。いつまで書き続けられるか分かりませんが何とか月一回、頑張ってやっていこうと思います。