第57回 コツ通り周辺の動物達

私が生れた昭和10年(1935)頃の南千住では、まだイタチにここかしこで出会いました。コウモリやヘビやトカゲ等も町中で見かけました、

母(1905年生まれ)の話では、三ノ輪の弁天池(現在のジョイフル三ノ輪商店街の区立南千住第一中学校前辺りにあった大きな池で、今も弁天湯の名称で銭湯が営業しています)が、大正初めに埋め立て事業が始まり、そえrはそれは大量のヘビが毎日毎日大きな桶に入れられて運ばれるのを見に行ったそうです。ある日、3m位の白蛇が捕らえられ、周辺の人々が大勢見物に押し寄せ、「弁天池の神様だ」と大変な騒ぎであったと話していました。

林丈二著「東京を騒がせた動物たち」(明治元年~明治45年までの新聞に登場した動物の記事をまとめた本)を読んでも、南千住は隅田川の(へり)に位置しm湿地帯の為か「へび」の話が多く出てきます。敗戦前の南千住の日常では、馬・牛・鶏・雀・鳥・犬・猫・(ねずみ)を見かけましたが、現在では、馬・牛・鶏が日常生活の中ではいなくなり、犬猫がやたらと目に付くようになりました。

明治20年まで、狐・狸・(むじな)を日常で見かけましたが、その後消えてしまいました。生活できる環境がなくなってしまったのですね。

ただ明治32年10月30日の「都新聞」に汐入の胡禄神社(旧名大六天)の大祭で、昼は神楽、村芝居が行われ、夜には「カワウソ」胎児の催しと鯉の寄網の余興があったと報じられています。これが最後のカワウソ狩ではなかったかと思われます。今日、日本全国カワウソは絶滅して一匹もいないようです。それに比べ、(いたち)は敗戦前にはよく見かけました。それは、まだエサのネズミや鶏が沢山いて、住処(すみか)の縁の下(家屋のえんがわ)がいっぱいあったので、生き延びたのでしょう。狐も狸も人間の縁の下に犬と同じように生活していたようです。

明治19年4月頃、淨閑寺で化物が出ると評判になり、浅草署の巡査が夜中にこの怪物を生捕りにすると、三尺ほどの大狸であったと報じられています。

平成17年1月