第43回 コツ通りとカネボウ

3月11日の朝刊にて、産業再生機構がカネボウ支援を決定し、公的資金を3660億円拠出することが決定と掲載されておりました。

羅紗とセルを製造するために明治39年(1906)、従業員数300名でカネボウ(東京毛織株式会社)が南千住に設立され、その3年後にニチボウ(東京紡績株式会社)が、綿糸と綿布とを製造するために従業員数2500名で設立されました。その後、繊維の他に化粧品・家庭用品・食品・薬品・医薬用接着剤などを製造する1万4千名の大企業となりました。大正・昭和の戦前と戦後にわたって、コツ通り商店街の発展のため、いろいろと寄与していただいた企業でしたので、とても淋しく思います。

以前は大勢の従業員の方がコツ通り商店街をご利用されておりました。甘味の明治屋さん・トンカツの松竹さん・本屋(後の化粧品屋)の伊勢川さん・大衆食堂(後の寿司屋)の大東京さんや渡辺の洋品屋さん等、どの店も女子工員さんの行列が出来、大変な賑わいでした。

一部の男性には、つた屋さん・千草さん・花屋さんと云った料亭をご利用頂きました。本当に素晴らしい時代だったと思います。

明治45年6月8日(7月30日には大正元年となる)の新聞に紡績工場女子工員の労働=18時間との見出しで記事が出ておりました。

18時間の労働に耐え兼ねて、新聞社に訴え出たものが、この2日で67通に上ったとのことです。

その原文は「社長さま、どうぞ私らを助けて下さい。私らは昨年まで朝の6時から晩の6時まで12時間の勤めでしたが、3月頃から18時間かんづめになりました。あたりまへなれば朝の6時に工場をでるのを夜11時からあしたの6時まではたらかせなければ、長場でしかられます。私らのからだはわたのようにつかれてやすむことはできません。三年の年があいても長場の人が国にかいしてくれません。どうぞあたりまえのようにかせがせるようにして下さい。くろ岩社長さま 工女より」。

それから90余年後の今、時代と共に生活も確実に変化しております。こういう時代だからこそ、みんなで譲り合い助け合っていきたいですね。

まいたうん62号(2004年3月20日発行)