第42回 コツ通りと製絨所(せいじゅうしょ)

2月7日から荒川ふるさと文化館にて、千住製絨所と荒川の近代(日本羅紗物語)展が開催されています。

幕末から明治へと時代の変化と共に、庶民の暮らしも変わりました。その中で、南千住の近代かの先導役となり、発展をもたらしたのが、千住製絨所(1879年)です。

コツ通りにあった火葬場や処刑場が明治20年に廃止され、「東京板紙」・「王子製紙」・「東京ガス」・「東京製皮」・「東京電燈」・「東京毛織」・「東京紡績」と上記の大きな工場が1880年から1907年の間に次々と設立され、それに伴い中小の工場が周辺に立ち並び、人口の増加は目を見張るようでした。

コツ通りも周辺の田畑は宅地化され、道路の整備や水路の変更など農村的で宿場町的商店街が、近代的な商業施設に変貌し、人口の増加と共に大発展をし、活発に活動してきたのです。

しかし、それから約50年経った昭和30年代頃から大工場の地方移転が始まり、40年代には大手スーパーやコンビニの出現で商売の流通が変化し、コツ通りも衰退の一途をたどる商店街となってきました。

4月8日、南千住駅の東側に大型商業施設が開業予定となっています。集客力は1日1万人とも2万人とも言われています。コツ通りもその集客力が上手く利用できるような工夫が必要です。商店街はもちろん、地域の皆様のお力をお借りして努力していきたい所存です。

コツ通りの理容業「バーバーズショップAB」の海老江重昭さんのお父さんにあたる、海老江重作さん(明治32年生れ)は腕が良い理髪の職人であるとの評判で、千住製絨所の中の理髪所に勤めていたそうです。

敗戦後、陸軍省の管轄であった製絨所が、昭和24年足立区に工場があった大和毛織株式会社に正式に払い下げられましたが、この理髪所で定年まで勤務なさったという調査記録が、文化館で制作した企画展記念誌に記載されています。

現在でも「バーバーズショップAB」は腕の良い店であると評判です。各個店が大型店に負けない特色のあるものを持つことが時代に生き残っていくカギではないかと思います。

まいたうん61号(2004年2月20日発行)