第39回 人生儀礼

コツ通りの提灯屋、一郎さんが「忙しい忙しい」と悲鳴をあげておりました。

それは天王様(素盞雄神社)で七五三の祝いのお払いを受けると、その子の名前入りの提灯が頂けるのです。その提灯の制作に追われているからです。

少子化の時代の中、天王様はありがたいことに参拝される方が多いと氏神様で皆様に愛されています。

ちなみに七五三の生活習慣は、五代将軍綱吉(1646~1709)の頃より始まり、そのいわれは数字の奇数はめでたい数と考えられていたからです。

3歳は「髪おきの祝」といい、伸ばした髪が結べるようになるのです。5歳は「袴着の祝」と言われ、5歳までは男女とも着物に区別がなく着ていましたが、男の子が5歳になると、はじめて男の着物を着るようになり、女の子と違ってくるのです。

7歳は「(おび)()きの祝」といわれ、女の子は7歳になると帯を結び大人用の着物を着るようになるのです。このように、年と共に子供から大人へのけじめの準備をしていったのです。

現在の生活習慣の中で子供達は結婚・出産・病気・死などの、人間の人生儀礼を身近で見る機会がなくなり、生きること・楽しいこと・苦しいこと・悲しいこと・死ぬことなど考えることが少なくなったのではないでしょうか。

大正10年頃は自宅で結婚式を夜挙げていたようですし、昭和30年頃は天王様で結婚式を挙げていたようです。私は兄弟七人(大正14~昭和13年生まれ)ですが、全員が自宅出産で近くの産婆さんに取り上げられました。

米本さん・大和田さん・久保田さん等、大勢いらっしゃいました。また、病気をしても自宅療養することが多く、病院へ入院することは稀でした。

また、死も自宅で看取りましたので、赤ちゃんの産声や病人がウンウンうなって病気と闘っている様子や、死者の顔色が変わって冷たくなっていく様などを身近に実感することができ、死ぬ事・生きる事を理解し、生きていく気力・人に対するいたわり、優しさが生れてくるのではないでしょうか。

昔は近所の葬式でよくお菓子を貰い、悲しみや喜びを学んだ気がします。まいたうん58号(2003年11月20日発行)