第32回 コツ通りの交番

いよいよ夏頃からドナウ広場(南千住駅東口)に交番の工事が始まるようです。完成すると回向院隣の小塚原交番がなくなります。戦後57年間も商店街を見守っていた存在でした。

昭和22年(1947)の商店街の記録によると、7月5日午後3時より南千住警察署に於いて、出席者50名にて小塚原交番落成式を行ったと記載されています。

コツ通り商店街(当時は興隆会という名称だった)が交番建設資金として参萬七千四百参拾円也、昭和31年10月25日には南千住5丁目80番地の敷地買収費として壱拾八萬九千九拾五円也を寄付しています。

自分の町を住み良くしていこうという先人達の努力の表れでしょう。時代の変化でこのような大切な存在が無くなっていくのは返す返すも残念で淋しい限りです。

南千住警察署は大正6年(1917)4月1日に南千住分署として発足され、同年5月22日に分署が昇格して南千住警察署となりました。

小塚原交番の移転の理由ですが、時代の流れと機械化のため狭くなった事だそうです。個人的にはJR南千住周辺では、一番要の場所ではと思いますが、いかがでしょう。

戦後、この場所でヤミ米のかつぎやのおばさん達が、米を取り上げられて泣きながら連れて行かれたという辛い悲しい思いをした場所です。

明治14年(1881)2月15日の新聞に『千住大橋の中央に旧幕政の頃は、橋番小屋を置き、「亀」などを売りながら、投身などに目配りし往来を注意していた仕組みが、明治維新後は廃止せられたが今日から派出所が設けられ巡査を置いて厳重な取締まりを始める』と出ています。

因みに明治15年2月2日から巡査の釦(ボタン)が外国製の黒コハクから残らず日本製の真鍮釦(しんちゅうぼたん)となり、12月11日からは三尺棒(巡査が持っていた長い棒)に代わり、サーベル(帯剣たいけん)となりました。子供のころ「ガチャガチャが来た」と言って怖がったものです。

まいたうん51号(2003年4月20日発行)