第10回 コツ通りと鉄道

今、百余年の眠りから覚めて、南千住駅周辺が大きく変り始めています。ぜひ、観に来て下さい。

去る4月15日にJR常磐線の下り線仮設線へと切り換えられ、古い土の土手と駅舎が撤去され、明治の職人が作り上げたレンガ積の壁が表われて美しい模様を見せてくれています。

江戸幕府から明治政府へと変り、欧米の列強に負けじと一目散に駈け進んだ遺産です。明治29年(1896)12月25日に南千住駅が開通し、常磐線は日暮里が起点で仙台の手前の岩沼が終点となっています。

明治14年11月に日本国有鉄道株式会社が設立され、同16年7月に上野駅が開通、日暮里駅が同38年4月、三河島駅も同年に開通しました。これをみても、いかに南千住が、早くから開け、交通の要であったかを証明していますね。

この鉄道、も明治39年鉄道国有法の成立で国有鉄道となり、戦後42年経ち、昭和62年(1987)に民営化へと移り変わって行きました。

平成17年(2005)には新しい交通機関として常磐新線(つくば学園都市から秋葉原まで)が開通します。南千住の町がどう変化していくのか見守っていきましょう。

明治15年鉄道馬車制度が江戸時代の伝馬制度に変わって出来上がり、コツ通りにも浅草から北千住間を走り商店街中央(今のとんかつの松竹さんの隣)に停車場(駅車場)があり、かなりの賑わいを見せていました。しかし、明治43年東京市街電車の延長が著しく、今の都バスの車庫(江戸時代の首切り場)まで延びて来ましたので、乗合馬車は南千住の踏み切りから北千住の駅前までに短縮され、それも北千住まで市電が行くようになり廃止となってしまいました。

今、コツ通りを走っていれば観光名所となったのに残念。

ちなみに大正10年(1921)には千住南には馬力の馬方が1300人もいて、夜明け前から街へ出る馬力がガラガラと音を立て、2kmも続いたそうです。今は大型自動車の騒音と排気ガスで一日中悩まされています

下谷神社に文化フライを食べに行きましたが、今年はお休みのようでした。ご連絡、感謝しております。

まいたうん28号(2001年5月20日発行)