第98回 さびれゆく下町コツ通り商店街

11月に入って鎮守の森の氏神様である素盞雄神社が七五三の子供づれのご一族で賑わっています。境内のいちょうもやっと黄金色に染まり、その実の銀杏も木から落ち秋の味覚を楽しませてくれてます。七五三の行事は江戸徳川幕府の五代将軍綱吉「延宝8年(1680)~宝永6年(1709)の時に跡取りの徳松の祝いを11月15日に行なったのが始りで武家社会や町人の富裕層に取り入れられて一般庶民に広がっていたものです。近頃は15日に関係なく祝にみえる方が多くなりました。自分の地域の氏神様で祝うご家族が多く、ありがたいことです。拝殿に昇り、おごそかにお祓いを受けご神酒とお守りをいただき晴れやかな気持ちで降殿していただきます。各町内の総代さんが拝殿に朝からつめて参拝のご家族と挨拶を交わし、お子様の成長を祝福します。総代とは、各町の祭りの睦の長で神社との連絡をします。その下に現場の祭礼の長の会長がおり、その職を長くたづさわった者が全員の推薦を受け神社総代となるのです。

井戸端会議と言って昔の人は隣り近所の連中と良くおしゃべりをしてました。おしゃべりした方が楽しいと思いますが、今の人はあまり話しませんし、挨拶もしません。淋しいかぎりです。

先日、「コツ通りを考える会」があり尾久・日暮里・町屋・三河島・汐入・コツ通りの人達とコツ通りの名称について話し合いをしました。コツを骨と思っている人は、あまりおらずそれより歴史ある古い地名を大切にした方が良いとの意見が多数でした。イメージが暗いと言われた方も、その命名の源を知れば納得してくれました。地名は大事にすべきものです。しかし、今は地名を簡単に変えてしまいますが、変えることは自分の居場所を無くしてしまうように思います。

若い人は小売商店に行くとおしゃべりされるので買いに行かないというけれど、人と人の会話は楽しいものです。自分の土地を愛さない人は不幸ですよ。どんな小さなことでも土地の人々とかかわって皆で奉仕活動をしていく、こんな幸せってないでしょう。

コツ通りの周辺にも大型スーパーが増えてきて安売り競争です。小売商店はここ数年で消えてしまうでしょう。代々商売を90年100年と営んで来た店が閉めてます。これから先どうなっていくのか心配で心配でなりません。街がさびれ淋しい暗い町並みになっていくのかと思うと悲しいです。伝統文化も地域の一体感がなくバラバラになってしまうでしょう。

来年の10月に500m程の所に売り場面積1200坪程の超大型スーパーが開店します。先日その先に安売りスーパーが開店した為ジョイフル三ノ輪の商店も売上げが落ちてしまったとのことです。西口駅前開発ビルも名が決まり、 「アクレスティ 南千住」です。商店街発展のスタートになってもらいたいと来年2月以後を期待していますが、内部は大変なようです。とにかく明るい未来を考えて毎日毎日頑張りたいと思い、皆で良い智を出し合い生き残りをはかって行きます。

仙成こと杉山六郎第124号    平成21年 11月13日