第96回 利己主義になった日本人

いよいよ南千住西口開発ビルが来年(2010)の春に完成します。明治29年(1896)南千住駅開業当時は一面の原っぱだった処に、大正11年(1922)東京電機製作所が操業を始め淋しい駅前が活気を帯び町並に形成され急速な発展を見て来ました。昭和10年(1935)代から敗戦の昭和20年(1945)までの賑わいを今では想像ができないです。戦争で焼野原となった駅前も20年の秋には早くもヤミ市の露店が筵一枚戸板一枚で土手下や工場の焼け跡に店を構え、商業活動が始まりました。当時、交通機関はJR だけですから駅を出た人達は都電22系「銀座新橋方面」に乗る人は大フミキリの方へ、王電に乗る人は仲通りを通って三ノ輪へ行きました。始発の朝4時30分から終電夜1時まで通行人で活況を呈する状態でした。私も学校が終わると兄の手伝いをしましたが、よく売れて品物さえ揃えば、あっと言う間に売り切れ状態でした。その頃から商売をしていた春の屋汽車道・伊豆屋栗林・鯛焼きの浪花屋・中華の光陽樓・中福・今川焼のアチコチ屋・どじょうの丸髙等みんな無くなってしまいました。この不況で開発ビルの入居店舗が難しくなってきています。区の施設は来年4月よりビル内で業務が開始となるそうですが、どれ程の賑わいが作り出せるか心配です。東側メトロの高架下にまたコーヒーとパンの店が10月に開店とのこと、人の流れが東に出来た新しい町へ流れてしまい、西には来ません。開発ビルがどれ程の人の流れを食い止められるか、または新しい人の流れを作り出せるか注目しています。そして一緒になって流れを作らねばなりません。

さて、先日古い本を読んでいたら明治42年(1909)9月に第二瑞光小学校に自働販売機が設置されたと記録されてました。それは自働販売凾による販売方法で品物(画用紙・鉛筆・半紙・雑記帳・筆・墨・消しゴム等)を入れた凾を置き、その隣に代金を投入する銭函とその隣に釣銭箱があり、釣銭を要する者は各自・随意に釣銭を取り出せるようになっていました。役員は上級生2名が担当し、その日の売上を計算し、帳簿に記入し売上げは銀行に預け入れることと約束されていました。「自働販売機設置の終局の目的は我が国民の徳義を瑞光の庭に光輝を放つことができるかである。」と結果は生徒達は忠実でまじめで正直で一銭のくるいもなく業務に服し一致共同してよい結果を出し得たと記録されています。

現在、この事を行ったらどういう結果になりますか。新聞記事によると学校の給食費を払わずに給食を食べている子供が大勢いるとのこと。また小中学生の万引きが年々増加し警察も店側も頭を痛めているとのこと。人の物を盗む事は悪い事だとの認識がなくゲーム感覚で物を盗む。親も注意せず更に盗む事を奨励している親もいるとのこと。

二瑞の自働販売機から100年。日本人の精神が狂ってしまいました。「衣食たりて礼節を知る」が無くなってしまいました。一生懸命食べていくために努力し金持ちになったら人のために貢献することも忘れ、自分さえ良ければいいとただそれだけで周りのことを考えなくなってしまいました。老人は心配ばかりしています。

仙成こと杉山六郎  すまいるたうん118号 平成21年9月13日