第90回 新型インフルエンザとコツ通りの火葬場と回向院

11月3日荒川保健所で「新型インフルエンザ大流行とその予防」について講習がありました。過去を調べてみると「スペイン風邪」(1914)大正3年第一次世界大戦時にスペインから流行し、世界各国へ広がり、死者4,000万人「アジア風邪」(1957)昭和32年死者200万人「香港風邪」(1968)昭和43年死者100万人これらのウイルスのタイプは「低病原性」でしたが、(2003)平成15年発生の鳥インフルエンザは「高病原性」で死亡率が高く要注意です。日本は江戸時代幕府は外国と鎖国していたので伝染病の流行は少なく(1858)安政5年「日米修好通商条約」が老中堀田正睦、井伊直弼「安政の大獄」で始まり「桜田門外の変」へと進んで行きます。(※コツ通り回向院に関係者の史跡墓石あります)更に五カ国条約「米英仏蘭露」の締結により長崎に来たアメリカ軍艦により侵入したコレラが大流行しました。コツ通りにあった火葬場は棺桶で埋まり火葬場通りも棺桶が山をなしたと祖父が話してました。コレラは明治10年(1877)から8回も大流行し、南千住の天王様からも神輿を出して厄払いに大変な騒ぎであったと言われてます。明治10年が近代衛生思想の原点となり明治13年に伝染病予防法が発布されたのです。これ全てコツ通りの仕置場「回向院」ではありません。間違わないで下さい。で、杉田玄白等により西洋医学書「ターヘルアナトミア」が解体新書に日本語訳され「漢医」が「西洋医」へと進んでいきました。コツ通りは幕政から明治政府へと近代日本にチェンジした時代の歴史的史跡の宝庫であり町起こしや商店街起こしに活用したいと努力しています。江戸時代の赤痢・腸チフス・疱瘡・天然痘に比べるとコレラは致死率70%以上の恐ろしい伝染病でした。、その後結核(私の兄3人も20代で死亡)昭和32年の水俣病昭和37年のサリドマイド昭和45年のスモン平成元年のエイズと人類は次から次へと新しい伝染病と戦っていかなければならないのですね。

 

現在、私を一番苦しめているのは医療問題です。妻が脳梗塞で倒れ全面介助の「要介護5」となり医療難民・リハビリ難民となっています。平成19年10月に倒れ、ヘルパーさんを頼みながら老々介護を続けましたが、自分が死にそうです。医療介護施設を探すのは至難の業です。現金もドンドンでていき、毎月多額の金が掛かります。金「経済力」・人「家族力か他人力」が無ければ死んでしまいます。後期高齢者は1300万人もいる現在です。私達のような医療・介護・住居・年金に不安を抱える医療難民は、どうやって生きていけばよいか考えれば考えるほど絶望的です。

 

脳梗塞は老人の病気と認識していましたが、東京リハビリ病院には20代・30代・40代等の人達が年齢関係なく入院してます。日常の生活(食事・運動・睡眠・ストレス)に気をつけていきましょう。若者も健常者もみんなで考えてよい福祉国家を作っていく事を願っています。

 

仙成こと杉山六郎

 

2008年12月13日