最近、コツ通り商店街にある江戸時代から200年余続いた店が閉じてしまいました。戦前から営業していたお茶屋・肉屋・果物屋・和菓子屋・洋品屋・本屋も次々と閉店し、夕方の商店の書き入れ時でも片側650mの商店街の端から端まで買い物客を見ない日が毎日です。これが弱い立場の人々を苦しめている「新自由主義」「規制緩和」「構造改革」の結果であることは間違いないと言えるでしょう。

多国籍企業がファンド資本を集めて最も儲かるものを漁って金を注ぎ込み、利益が出ないとなるとサッサと処分して引き揚げてしまい町が潰れていく。先日の新聞に大手スーパーやコンビニが「今年から二、三年かけて儲からない店舗を2000店規模で潰してしまう」と発表しています。少し前までは地方都市のことだと思っていましたが、東京下町の人情厚いと言われていた我が町もシャッター商店街となり始め、さびれて来ました。今、地方都市の既存の商店街は、町の郊外にできた新しい集合型商業施設(大手スーパーが核となっている)に客を取られ、人通りがない暗く寂しい通りになってしまっています。商店街を潰し、お客をぶんどった大手スーパーが儲からないからと店を閉じて撤退してしまったら、自動車の持っている人々は隣町のスーパーに買物に行けますが、高齢者や身障者はどうでしょうか。日常生活に困ってしまっている人達が多数出てきています。江戸時代から、その土地地域にあった暮らしを皆で仲良くやってきたのに金のある「金の集め方のうまい」者が資本力にものを言わせて「効率主義」を振りかざし町を潰しています。若者は、店を継いでも食べていけないので外に出ます。しかし、能力があり運に恵まれていれば食べていけますが、手配師より悪質な人材派遣会社の社員では自分一人が食べていくのが、関の山です。一部の人々が富を独占して無駄な生活をし、物を大量に消費し自分よりも下の人達に分ち与える心も

ありません。昔に戻ろうと言うのではないけれど、物質的に貧しくても礼儀正しく約束を守り、少しでも人の役に立つことを考え安心できる社会にしたいですね。

明かりの消えた商店街は犯罪が多発し、町内の文化的行事を執り行っていけなくなるでしょう。10年位前の商店街は、従業員を何人か使い、店主も時間と金に余裕があったので、商店街の催し物にも競うように参加したり、町内会の活動も盛んに参加できましたが、現在では店主が催し物に参加するには店を閉めて行かなければならない為、自然と行事をやらなくなりました。これでよいのでしょうか。

どこか間違っていると思いますが、これも民意が選んで決めたことなので、残念。仙成こと杉山六郎

第70号    平成20年5月13日