第80回 節分祭とさざれ石

素盞雄神社「天王様」で2月3日、冷たい雪が降る中で節分祭が挙行され多くの年男年女(400名余)が賑やかに今年の福を願って午後3時~4時半まで30分毎に4回にわたり、豆まきをしました。雪と寒さの為に人出は例年より少なかったのですが、子供や大人を含めて延べ1200名位の参観者が集まりました。年男年女の持参したお菓子等がいり豆と一緒にまかれ、参観者の人達は沢山のお菓子等を持ち帰りました。事故もなく無事に終了し年番担当としてヤレヤレ一安心でした。

年番は、9月15日の飛鳥権現の飛鳥祭から翌年の飛鳥祭までの一年間、天王さまの祭礼行事を当番として仕切る役割をします。年番は宮元七カ町(上町・二丁目・若宮・諏訪・瑞光・奈可・志茂)の順に担当し、七年毎に周ってきます。今年は、宮元・上町が年番に当り、三年に一度の天王祭の大祭(天王様の大きな神社神輿が巡行します)にぶつかります。今から身体の引き締まる緊張感に包まれています。南千住では、その他に通新・新開・みの里・東三ノ輪・河原崎・六の本町の七ヵ町があり、合せて十四ヵ町と呼ばれ、区域の行事にかかわっています。

節分祭では、まず年男・年女が参集殿の中で受付を済ませた後、肩衣をつけ、手水を取り昇殿前のお祓いを済ませます。正面で礼をしてから拝殿内に入り、能円坊宮司の祝詞を受け、名前を呼ばれた順に玉串を奉典します。その後、回廊に並び、天王太鼓の合図で一斉に豆まきを始めます。終わったら、2・3階にて直会があり、その後解散となります。

拝殿の中央に「さざれ石」が置かれているのが見えます。新聞で報じられている国家不起立問題の国歌「君が代」の中に出て来る「さざれ石」です。国を愛することは自然のことと思われますが、強い縛り付けで上の顔色ばかりを気にしている教師ばかりでは子供達が尊敬できないのではないでしょうか?

皆さんは「君が代」が国歌としてどのように誕生したか、ご存知ですか?この故事来歴を知れば「教師を首にするとか、しないとか馬鹿なことを言ってるんじゃないよ」と思うでしょう。

次回、そのことを書きます。

 

2008年2月13日

すまいるたうん61号