第78回 江戸しぐさの譲り合い

皆様は120年前、まだ南千住に広大な敷地を所有していた大名屋敷が六ヶ所もあったのをご存知ですか。現在の日光街道四号線を明治通りが交差する大関横丁周辺の上野よりから池田屋敷「因州新田城主」「4000坪」三ノ輪都営住宅周辺。加藤屋敷「伊予新田城主」「2000坪」明治通り周辺。大関屋敷「下野黒羽城主」「8000坪」第六瑞光小学校付近。宗屋敷「対馬府中城主」「8000坪」都電三ノ輪駅よりイトーヨーカドー付近。石川屋敷「伊勢亀山城主」「11000坪」三ノ輪ジョイフルから眞正寺隣り付近。それに千住大橋近くの現在の天王公園辺りが米倉屋敷「2000坪」。このように江戸の町は武家屋敷が広い土地を使用し、町人は狭い土地で暮らしていました。その為、必然的に皆が周囲の人々に気を使い、譲り合い助け合いながら生活をしてきました。南千住にも、トンネル長屋・軍艦長屋・百軒長屋等と呼ばれる集合住宅が沢山ありました。近年は個室と呼ばれる密閉されたカギのかかる部屋を小さな子供の時からあてがって自由気ままに育てているせいか、大人も子供も人々に対する気遣いが全然ないように感じます。道を譲っても当たり前の顔、混雑している電車を降りるのも老若男女、ただ無言で突進してきて病院通いの私も始めの頃は2回程、突き飛ばされました。

現代の日本人は、公共の場で目と目を見ながら、なぜ話をしなくなったのでしょうか。戦前の住居は襖や屏風やのれんで空間を仕切って生活し、周りに気を使い、仲良くやって来たもんです。今は、住居も自分勝手の自由、乗り物も自家用車の中で勝手気まま、テレビゲームや携帯電話で声を出して喋っている人はまだ良い方です。メールでやりとりすれば、周囲に一切判らず「不倫」が流行るわけですね。道徳も伝統もめちゃくちゃ、日本人は恥の文化や正直を忘れ、自己中心になり他人のために汗を流す人が少なすぎます。残念でなりません。自分だけ良ければ、それで良し。金が儲かれば、それで良しでは精神的にむなしいではないでしょうか。老いた人も若い人も少しでもいいですから、1日1回は自分を見つめて下さい。。生きること・死ぬこと・苦しいこと・辛いこと悲しいことから避けたり、逃げたりしないで5分でいいです。暗闇の中で考えて下さい。

私ごとですが、妻が一瞬で脳梗塞のために記憶も言葉も手足の自由も失ってしまいました。毎日が悲しくて寂しくて意志が通じない苛立ち。苦労があれば、いいことが必ずあると頑張っています。一年間読んで頂きありがとうございました。来年はきっといいことが皆様も私にもあると思います。

良いお年を

2007年12月13日

すまいるたうん55号