第76回 学校給食

昨日、第二瑞光小学校の運動会に来賓として出席した際その席上、生徒達と一緒の学校給食を昼食としてご馳走になりました。メニューは中華丼「ジャージャー丼」と野菜と鳥肉のケンチン汁と梨1/4と牛乳パックのセットでした。そのおいしかったことと量のあるのに嬉しくなりました。

昭和16年12月8日太平洋戦争「大東亜戦争」が始まり、その翌年に1年生になった時のうまかった二瑞小の学校給食を思い出しました。「大豆の入ったご飯」(アルミ容器)・味噌汁・味噌漬けのアヒルの肉・タクワンの献立に時々アヒルの乾燥卵の甘辛の炒り卵でした。しかしそれも18年の初めで終わってしまい、19年には学童集団疎開が始まってしまいました。敗戦後の21年に学校給食が始まりましたが「青虫のいっぱい浮いている味噌汁」のみで55名くらいの生徒のうち弁当を持って来る者は半分「麦入りご飯弁当」は2~3人、サツマイモ2~3本持って来る者・ジャガイモを持ってくる者、後はすきっ腹を抱えて校庭で日なたぼっこしていました。現在の子供達に体験させたいですね。

その後、ララ物資の「脱脂粉乳」水で薄めて飲むのですが、本当にまずかった。あと、トマトジュースは、ほとんどの生徒が初めて出会った飲み物でみんな飲みませんでした。味噌汁がかわるがわる出てきました。私は腹が空いていたので良く飲みましたね。先生は食事が終わって余った汁を教室の後ろに置いてくれました。今、考えるとありがたいことだったと思います当時、昭和20年代(1945~1955)の生徒は、「結核」が多くて中学を卒業するまでに多数の者が亡くなりました。私も7人兄弟のうち3人が結核で亡くなり、両親はその医療費の負担に苦しんでいて当時かなりの資産を売りつくしたようです。今の保険制度には感謝しています。

「食は生命の移し変え」だと良く言われますが、食物に対する感謝の気持ちが薄れているように思われます。時々、新聞でホテル・コンビニ各家庭で廃棄される食品の量の多さが報じられていますが、もう少し我々古い人間のように「目で見る」「鼻でかぐ」「味をみる」等人間の五感で判断する訓練する必要があると思います。日付だけ見て捨ててしまうのでなく工夫して下さい。近い将来、食べ物に困る時代が必ず来ます。「いただきます」「ごちそうさま」食物の命に感謝する心が大切だと思います。

どなたか、戦前の学校給食のお話をお寄せ下さい。

2007年10月13日

すまいるたうん49号